李嵐清元副首相が中国国際放送局を視察
1970年代末、中国は改革開放政策を打ち出しました。それに伴い、中国の対外放送も発展への道を歩み始めます。ドイツの雑誌『ラジオ・クリーエ』は、「中国国際放送局の番組は、遥か遠い中国から吹いてくるさわやかな風だ」と伝えました。また、北米ラジオクラブ協会も、中国国際放送局を世界最大のラジオ局のひとつだと紹介しています。
中国に対する世界の注目が集まるに従い、中国国際放送局の番組作りも徐々に変貌を遂げていきました。
汪作舟記者
番組内容も多彩となり、さまざまな角度から中国を紹介するようになりました。1969年、中国国際放送局に入局した記者・汪作舟。第1期の海外特派員として活躍し、中国における最高のニュース賞を受賞した経験を持つ彼は、今年70歳近くです。当時を振り返り、汪作舟は「支局に着任した初日から、本当に忙しかったですよ。現場に行けば、いろんなトラブルに直面して、大変でした。でも、世界の情報を瞬時に伝えることができてよかった。アフガニスタン平和協議がジュネーブで調印された際、私は報道を担当しました。調印から20分後には、そのニュースが電波に乗って世界に運ばれたんです。非常にうれしかったです」と述べました。
劉素雲記者
1980年、日本の東京と旧ユーゴスラビアのベオグラードを皮切りに、中国国際放送局は世界各国に支局を開設してきました。海外支局で働く特派員達の苦労は並々ならぬものがあります。劉素雲という女性記者がいます。劉素雲は、元エルサレム特派員です。当時、中東での取材活動を振り返り、劉素雲は次のように話しています。劉素雲は「2000年10月、パレスチナとイスラエルの武力衝突が起こりました。現場はガザ地区でした、私と同僚は、すぐにガザへ飛びました。そのときです。私の目の前で、一人のパレスチナ人が銃撃され、倒れました。数メートル先で、血まみれになって。そのときは死を覚悟しました。それからも、このようなことを何度も経験しました」と語りました。
現在、中国国際放送局は世界各地で27の支局を開設しています。これら支局から、毎日多くの現場リポートが入ってきます。また、中国国際放送局が放送に用いる言語は、現在43言語。世界200あまりの国と地域に向け、毎日780時間以上放送しています。いまや中国国際放送局は世界3大放送局のひとつに数えられています。
改革開放後、ビジネスや留学、観光などで中国を訪れる外国人がますます増えています。こうした人々を対象に、1984年から、中国国際放送局は北京地区での英語放送を開始しています。イージーエフエムです。
イージーエフエムのサブディレクター・王ロ(王の偏に路)は、「イージーエフエムは、中国国内における英語放送としては、かなり質の高いものだと思います。音楽放送でもあり、英語放送でもあり、中国ではこれまでになかったタイプのラジオ放送だと思います。」と述べました。
陸水林アナウンサー
中国対外放送の発展につれ、中国国際放送局はラジオというメディアにとらわれない、新たな挑戦をはじめています。1998年、中国国際放送局はインターネット放送に着手しました。多言語のウェブサイト・CRI Onlineの誕生です。世界各国の国際ラジオ局が開いたものとしては、最も知名度の高いウェブサイトに成長しています。
このほか、翻訳出版事業や国際交流事業など、さまざまな分野で多大な貢献を果たしています。ウルドゥ語部の陸水林は、翻訳活動などで評価され、1997年、パキスタン政府から優秀業績勲章を授与されています。陸水林は「空いた時間を利用して好きなことをやっただけです。中国とパキスタンの交流に、ささやかながら貢献をしたいというのが、私の小さな願いです。」と語りました。
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