中国にいたときは、わたくしには京劇が生活のすべてでした。ところが、自分の人生にとって京劇の意味がわかりませんでした。練習が辛くて疲れ、また若者の京劇離れで迷ったこともありました。
日本に来て、多くのことを学びました。大学や大学院での勉強だけでなく歌舞伎のこと、能狂言のこと、絵画のこと。そして多くのすばらしい人々に出会いました。みな親身になって支援してくれました。また。京劇がいまも変わらず魅力を持ち続けていることを生徒さんだちに教わりました。
いったん中国の舞台を離れて、 「わたくし自身が、いかに京劇の舞台を愛しているが」を知りましだ。生徒さんや友人、先輩がたほわたくしの舞台を観て「日本で京劇や中国語を教えているより、京劇の俳優として舞台に立つことで中国伝統芸術の普及に貢献するべきではないか」と異口同音にいわれます。
修士論文の研究で詳しく知った梅蘭芳は、日本の演劇界に新風を吹き込んだばかりでなぐ。中国の文化を日本人に理解してもらい、さらには東洋の芸術文化への再認識をも喚起しましだ。また。関東大震災で荒廃した日本に義損金を迭りました。そして、歌舞伎をはじめ各方面で友情を結びました。まさに演劇の範囲を超えた中日友好の使者であったと言えます。最後の来日から半世紀がだった今でも伝説のように日本の人々の心に生きています。
わたくしも、梅蘭芳のことを心に刻み、日本で学んだこと、貴重な人生経験や芸術体験を京劇に活かして演じも後輩に伝え。また?方、京劇、日本への恩返しとして演劇文化を中心とした中日文化交流に尽くしたいと考えています。
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