私は中国の貧しい農村の出身です。私の家族が、1年間働いて得た収入は、日本の物価の高い生活では1週間分にも足りません。私は10数年間に10種類以上のアルバイトをやってきました。靴屋のアルバイトでは、機械作業の事故で、指2本を切りました。魚屋で魚売り、大工さんの手伝い、マクドナルドの店のトイレ掃除、関西空港での機内清掃、工事現場のガードマン、コンビニの店員等いろいろな仕事をしましたが、無断欠勤したり、遅刻したりした事は一回もありません。私は貧しい農村出身者ですが、日本の物質生活を羨ましいとは思いません。アルバイトを通して日本の労働者の生活をよく知り、そして同情し、社会で?番下の階層の人々の心に触れながら交流し、また理解しようと努力してきました。
私はご飯を食べるために生きているのではなく、生きるためにご飯を食べているのです。ですから、10数年間、日本での苦しい生活を充分に経験しました。家で使う道具は粗大ごみ置き場で探す、毎月2万円以下の食生活をしていますし、学費を払った後、酷い時は、1ケ月9500円の食生活という時もありました。毎日ス?バー-での半額引の食品、八百屋の売れ残った古い野菜、コンビ二で捨てられるものも、私の生活には欠かせないものでした。10数年間の栄養不良の生活のため、私の体は人より早く老化し、歯も全部悪くなり、食事するのも大変不便になりました。
私は10数年間、日本で独身の生活をしてきました。中国にいる妻は農民の娘として育ち、文字法全く読めませんでした。私が来日して最初の5年間、電話がつけられなかったため、家族との交流は、5年間に渡って、中断されました。この約15年の間に、私は3回しか古里へ帰る事ができませんでしたし、家族と一緒に過ごした時間は全部あわせても3ケ月桂しかありません。しかし、妻は、私の事を充分に理解し、中国で農業をしながらも、2人の子供を育てました。私は、子供を直接には教育できませんが、2人の子供は、親の背中を見て、勉強の原動力と、それぞれに、中国の有名な大学、吉林大学と曁南大学で勉強する事ができました。
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