私は中国で五歳のときに書道、水墨画のコンクールに入賞してから、ずっと 水墨画を描いてきました。展覧会は多くの国々で開催され、私自身もオーストラリア、アメリカを訪問し、さまざまな文化の人々と出会うことができました。その出会いによって、私は沢山の友人に恵まれました。
来日する二年前頃から、私は水墨画の伝統に沿った絵画ではなく、新しい絵画表現を学び、新しい絵を描きたいという気持ちが強くなり、また新しい自分を発見しだいと思うようになりました。そのとき、香港にいた私の小父さんが、私を日本に留学させてくれることになり、1992年に私は来日しました。まったく日本語が分からない私でしたが、日本の人の容姿は甲国人と変わらず、外国に来たという強い緊張感は余りありませんでした。
日本語学校で日本語を学んだのち、大学に入学するときに、日本の栃木県真岡市の議員さんたちが私の後援会を立ち上げてくださいました。真岡市の皆さんは、私の故郷である桂林を訪問されたときにお会いしたことがありました。美術大学の高い学費から生活費までを援助してくださり、大学院博士課程で日本の文部省の奨学金をいただくことになってから現在まで、私をずっと見守ってくださっております。私は真岡市の方々のおかげで大学での勉強と日本での生活をおくることが出来たのです。私は本当に感謝しております。
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