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曽おばさんの物語(班忠義)
   2006-01-18 11:22:18    cri
 彼女は終戦の時から日中国交回復まで30年近く日本への帰国を待ち望みました。しかし国交が回復したといっても帰れるようにはなりません。なぜがと言えば、当時の日本政府は中国残留日本人に対しても二重の政策をとっていて、終戦時に13歳未満の日本人を残留孤児と名づけ、国から調査と帰国の援護を行ったのですが、13歳以上になると、いわゆる自分の意志で中国に残ったとみなされ、今の言葉でいうと「自己責任」となり、帰国間題は在日親族に任されました。しかし、在日の親族は殆ど彼女達の帰国に反対しでいました。中国侵略の一環としての移民政策の犠牲者である残留婦人選は、終戦時の混乱の中、中国に残らざるを得なかったのです。その事実を日本人が知らなければ、曽おばさんのような日本側の戦争被害者の帰国を悼る壁は取り除かれないだろうと思い、曽おばさんの人生を一冊の本にまとめました。その『曽おばさんの海』という本は、1992年に第7回朝日ジャーナルノンフィクション大賞に選ばれました。その2年後に多くの日本市民と支援団体の声で国会における議院立法の形で、中国残留日本人達の帰国が保証されました。私の本を読んだある日本人の方が曽おばさんを訪ね、彼女の帰国保証人になったと聞きました。

 曽おばさんのような戦争被害者を調査しているうちに、多くの自分の知らない歴史事実や人々に出会いました。私の故郷からはるか遠い山西省で、戦時中、共産党ゲリラ退治という名のもとに、旧日本軍によって多くの農家の若い女性が捕まり、レイブされました。その人たちはそういう体験があったということで辱められ、田舎で差別されています。その多くが身体と精神的な病気に悩まされながら死んだり、苦しめられだりしています。中国からも日本からも何の援助も受けず、あびきながら生きています。私は最初、戦争被害者の取材という気持ちで現地に入りましたが、厳しい健康状態や生活事情を見て、医療支援を始めようと思いましだ。私が下宿していた東海寺の協力を得て、中国人元慰安婦を支援する会がたちあがりました。そしてその後、多くの日本人の賛同を得て。今日まで続いてきました。9年間。毎年彼女達のところを訪問し、医療支援と生活支援をおこなってきました。

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