私と日本人の交流はこれだけではありませんでした。1996年中国雲南省麗江県に大きな地震が発生した際、私は現地に走りました。初めて知ったのは震災のためというより貧困のために。少数民族の子どもが義務教育さえ受けられないという厳しい現実でした。自分は日本人に助けられ高等教育を受けられたけれども、義務教育さえ受けられない少数民族の子どもを、今度は自分が支えなければならないと考えました。ただ私?人の力はあまりにも。さく多ぐの日本人の手を借りなければなりません。その学生支援の事を周りの日本人に伝えると、多くの賛同を得られました。そして8年間で数百人の子供を学校に送り,教育を受けさせることができました。現在では医者や教育者になった人がたくさんいます。
私は来日して18年間、華やかな業績、学位、カンバニ?などという形に見えるものをつくれませんでした。しかし、多くの素晴らしい日本人に出会って、彼らがら形のない心の財産を多く得ました。歴史問題を調べると過去の日本人は残虐で非人間的でした。しかし私が出会った日本人は心温かく思いやり深い人ばかりでした。私は多くの日本人に温かく守られてきたので、その人選に恩返ししようと思っていたのに。彼らは次々この世を去ってしまいました。彼らに直接恩返しをすることはもうできません。恩返しをしようと思ったら、自分自身が人を助け、見返りを求めないことです。?人でも多くの人を助け、それを後代に伝えていくことが恩返しなのです。私?人を助けることを通じて、多くの中国人に恵みがあるようにという恩人の心を察し、今年祖国に戻り、祖国、また日中両国のため微力をきさげようと決心しました。
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