確かにこれらのサッカーファンのやり方はいろいろ問題があり、到底賞賛することは出来ません。しかし、もっと平常心をもってみるべきだと思います。日本でもいろいろな人間が発言しているでしょう。中国を罵るような発言を繰り返している人もいっぱいいます。こうした人の声をいちいち日本全体の政策、日本国民全体の声だと捉えていたら、中国の国策、対日政策が間違ってしまうだろうと思います。
だから、中国が多チヤンネルの時代を迎えたことに対し、日本の国民はそれに,潰れ、そして、新しい付き合い方を覚えなければなりません。それと同時に、中国と日本の双方のメディアにも問題があります。いま確かに、日中間メディア同士の動きを見ると、相手側を評価することについてはあまり取り上げていない。日本に駐在している中国の駐在員たちもそのことを感じています。中国に駐在している日本人特派員も同様の不満を持っています。書いた記事を本社に送って、ボツにされるということもよくあります。これはなぜなのか。日常レベルでは、日中間の国民交流で非常に感動向りな場面があります。なぜ、こういう感動的な場面を取り上げないのか。
私の自分の経験で言えば、最近、上海から日本に帰国する際に、空港で日本人観光客のグループに出会いました。空港の待合室で、若い男性が空になったぺットボトルをある中年女性のところに持っていて、恭しくおじぎをして渡したのです。なぜぺットボトルをそんな風に丁寧に相手に渡すのか、私は不思議に思った。すると女性はそれを受け取って、持っていたカバンに詰め込みました。それを見て、私はますます分からなくなりました。よくよく見ると、そのカバンにはすでに5個ほどの空のぺットボトルが入っていました。そのゴミをまさか日本に帰る飛行機に持ち込むのか、と私は思ったのです。ちょうどそのとき鹿児島行きの搭乗が始まり、彼女はぺットボトルを持ったまま飛行機に乗りこみました。旅先にゴミを捨てない、というような感動的な場面をみました。私は彼らに敬意を覚えました。
海外に出てきた中国人がそこまでやれるのか。多分、今のところ、誰もそこまではやっていないでしょう。確かに、日本では中国を分裂させたほうがいいなどと言っている石原都知事のような人もいる、だが、旅先の中国にゴミを捨てようとしない、普通の日本人もいます。石原さんを批判するのは構わないと思いますが、彼らのように日中間の交流に自らささやかな行動を起して地道に努力している日本国民をメディアはもっと積極白りに取り上げてもいいのではないかと思います。こうした例は本当にいっぱいあります。
つづき
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