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小さな歌 大きな絆
   2005-12-14 13:54:26    cri
 "揺呵揺,揺呵揺,揺到外婆橋……"

 生まれて初めて聞いた、この19世紀から伝わってきた故郷=上海の子守歌「揺呵揺」は、今や私にとっては 「人生の主題歌」のようなものになりました。日本で暮して、何かに疲れたり思い悩んだりしだときにフッとロをついて出てくるこの歌は、不思議に私の疲れを癒してくれます。励まされます。元気や勇気を付けてくれます。そしてもっと不思議なことが……。

 私が上海語でこの 「揺呵揺」を歌うと、なぜか日本の皆さんが聴いて下さって、涙される人が多いのです。

 あらかじめ歌詞についての訳をしているわけでもありませんし。初めて聴いて下さった方ばかりのはずなのに、「ねっかしい……」「この素朴さに心を洗われた……」「涙が止まらなかった……」と言って下さるのです。

 来日当初の日本では、中国の歌についではほとんど知られておらず、さびしいと感じていましたが、今は、周りの日本の皆さんにこの上海の子守歌 「揺呵揺」や 「大海阿,故郷」等の中国の歌をごく自然に口ずざんで頂けるようになって、日本の皆さんの愛唱歌になるなんて、本当に夢にも思わなかったことなのです。

 1992年、「中日歌曲比較研究」のため上海から日本に参りました私ですが、以来、瞬く間に十三年間が過ぎました。この13年の間に、留学生から教授へ、学ぶ側から教える側へ、私の専門である「音楽」を通じて、沢山の人々と巡り逢い、いろいろなことを学び、素敵な友達が出来。様々な経験をすることが出来ました。これは、私にとって貴重な 「宝物」です。

この上ない?番大きな収穫は、やはり「日本歌曲の母」ともいうべき日本の「童謡」と出逢ったことです。私は日本の歴史や文化の素晴らしさ、日本歌曲の奥の深さ、日本人の心の豊かさ、やさしさを日本の歌から教わり、すっかり「日本歌曲」に魅せられました。

 思い返せば、そもそも私が日本に興味を持ったのは,子供の時に、ダーク・ダックスが歌うロ大の歌を聴いたことからでした。なんと美しく、しかもやすらかな気持ちになる歌なのだろうと思し、ました。日本語ばまったく知りませんでしたが、ぞの感動は今でも覚えてし、ます。"私も歌ってみたい"と思って、ある日勇躍東京にやって来ましだ。日本語にも苦労しましたし、上海で思い描いた日本生活とは随分違っていました。日本の歌の研究より生活の為のアルバイトが優先の毎日でした。でも、今振り返ってみると、必死で頑張ってきたあの時の苦労が今の私を作ってくれたのかなと懐かしく思い出されます。

 その後の私の人生を大きく左右したのは。1996年「第11回全国童謡歌唱コンクール」での思いがけないグランブリ金賞 (寛仁親王牌)受賞でした。

 日本人の前で、しかも日大を代表する音楽や歌の専門家が沢山いる前で、私の日本語で歌う日本の歌が果だして通用するのか。そんな不安でいっぱいでしたが、歌い終わった時。頬をつたう涙を拭おうともしない会場の"々からの鳴り止まない大きな拍手でハ,と我に返りましだ。そして、中国人の私が、コシクール始まって以来、外国人初の 「グラんプリ」受賞となったのです。

 寛仁親王妃殿下からトロブイーど激励の言葉を頂き、「夏の思い出」「雪の降る街を」等多くの名曲を作られた著名な作曲家中田喜匝先生との交流が始まりました"その後。中田先生に日本歌曲論や歌唱指導等を受け、先生自らの伴奏でコンサートに出演、上海でのコンサートも企画しましたが、残念ながら実現の前に先生は体調を崩され、2000年5月に亡くなられました。このような縁で、2003秋、私が外国人で初めての 「水芭蕉忌コんサートを故中田喜直夫人幸子先生のお蔭で、奈良で開くことが出来ました。

 その後、毎年リサイタルの開催、各地でのコンサート公演、セミナー講演、病院や老人ホーム等での訪問コシザート、チャリディーコシザ?卜等の芸術活動を続ける傍ら、千田での様々な経歴を持った私が日木の大学で教鞭を執り、中国語、中国文化、中国事情などを日本の大学生に紹介出来ることとなりました。また2003年、「奈良新聞文化賞」を受賞など、多くの方々から日本で活躍するようにと要請されました。

 また「宋茜後援会」も正式に成立してがら9年になり、10代の小学生から90歳以上の方まで多くの方々が見守られてきました。。その中には著名人から主婦、学生から先生、サラリーマンから公務員等各分野の方がおられ、皆様の温かい支えの中で、幅広く活動を展開することが出来ました。その支えが私のエネルギーになり、私の栄養になり、私を育んできました。

 "百霊鳥从藍天飛過,我愛ニイ中国……"

 このスケールの大きな大曲をよく歌いましたが、一番思い出が深いのはやはり奈良でのあの 「中国洪水支援チャリティーコンサート」でした。

1998年の中国の歴史的な大水害の時のことでした。私はこの名曲をそのコシザートの最後のプログラムにしました。日本の皆さんにわかってもらえるだるかとちょっと心配しましたが、歌い出してから間もなく大きな拍手が会場に沸き上がり、知らず知らずの内に留学生たちが舞台に上がってきて。真っ赤な舞台の中央に立つ私も感動の涙に包まれて歌い終わりました……全会場がひとつとなりました。中国人も日本人も同じように泣いていました……。

 コンサートが終わって、涙でいっぱいのお客さんが私の手を握って「歌詞は分かりませんが、中国人の気持ちはよく分かります……」「宋さんと知り合ってから、なんだか急に中国のことが気になってきました」「宋さんありがとう……」の一言……私はロビーで皆さんと握手しながら見送り、皆さんは長い列に従って退場しながら「義指金箱ゴに義指金を入れてくれました……。

 私はその光景を目にして、うれしくて感動し、涙がこぼれました。その「義捐金」は、一人ひとりの日本人の温かい心だと思いました。

 このような 「災害支援」「就学支援」等のチャリティーコシサートで、なんと数百万円の義指金が集まり、中国の関係方面に贈られました。きっと中国の人々に日本人の気持ちが伝わっていくものと信じています。

 中日友好交流と理解は本当に身近なささやかな事からだと実感しました。そして音楽を通じて、言葉や国境を越えて、心と心を通わすものなのだと強く感じました。また、いま音楽をやらせてくれた両親に感謝しております。

 これからは中国と日本の友好交流や相互理解はますます深まっていくと思いますし、そうでなくではならないと確信しています。れ世紀の中日交流出は私とあなたの出来る事から始まるでしょう。

中国人から見た日本
v ?番大きな収穫ーー宋茜 2005-12-14 13:52:18
v 寛仁親王妃殿下からトロブイーど激励の言葉を頂きーー宋茜 2005-12-14 13:51:17
v 1998年の中国の歴史的な大水害の時ーー宋茜 2005-12-14 13:50:07
v 中国人の血が永遠に流れているー蒋ソウ 2005-12-07 12:57:18
v 私の少女時代ー蒋ソウ 2005-12-07 12:51:28
v 日本テレビに入ったー蒋ソウ 2005-12-07 12:50:43
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