「走出去」に代表される中国経済の国際化は、世界に何をもたらすのでしょうか。そのヒントを、600年ほど前に求めることができます。
1405年、明朝の時代に、永楽帝の命を受けた鄭和が、「大宝船」といわれた大船団を率いて初航海に出ました。これ以後、7回に及ぶ大航海で、東南アジアからアフリカに及ぶ広大な地域に、当時としては最大といってよい友好的な地域通商交易圏が築かれました。
バスコダガマ(喜望峰経由インド航路発見)、コロンブス(アメリカ大陸発見)、マゼラン(史上初の世界1周)らが活躍したヨーロッパの大航海時代に先立つことほぼ百年前のできごとです。現在、世界の注目を集めている中国とASEANとのFTA(自由貿易協定)の原型が、すでに構築されていたということではないでしょうか。
鄭和の最大の業績は、各地との交易に当たって砲艦外交を行わなかったことです。行く先々で、交易のための官廠(倉庫)と宣慰司(領事館)を設置したといわれます。いわゆる、「厚往薄来」(ギブが多くテイクが少ないこと)とされる朝貢貿易が行われました。残念なことに、28年に及ぶ鄭和の大航海は1433年、突然、幕を閉じ、以後、中国は海外展開を本格化することはありませんでした。
ーー「人民中国」より
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