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僭越ながら「徳」についてー『項羽と劉邦』読書感想文(後半)
   2005-10-14 11:03:32    cri

 劉邦は張良の「上司」である。しかも彼らの時代、上司たるものは部下の生殺与奪の権を握っていた。その上司に張良は「あんたは馬鹿で臆病者だ」と言っているわけだ。でも劉邦は怒りもしない。彼はこの手の直言箴言には信じがたいほど素直に耳を傾ける人間だった。劉邦は側近の張良だけではなく、いつでも握り潰してしまえる虫けらのような末端の家来にまでこんなふうに評されている。

 馬鹿もあれほど大きな馬鹿になると、大小の利口者が寄ってくるらしいな。そこへゆくと雍歯なんどは戦に強いばかりで欲得だけでかたまっている。王陵は何だろう。小型の馬鹿かな。あるいは水溜まりのような馬鹿だな。そこへゆくと劉邦は泗水が氾濫して野を浸しているような馬鹿だ。際限というものがない

 紀信は、いつも劉邦の悪口をいいふらし、「あんなやつは嫌いだ」と公言しているが、それは極端にひねくれた彼なりの劉邦に対する愛情表現なのだった。劉邦はこんなねじくれた末端部下を咎めたりせず、逆に面白がって重用してみたりするようなところがあった。

 ほかにも司馬は劉邦の主要な部下を総動員して彼の「空虚さ」や「高貴な愚鈍さ」を褒め称える。まずは韓信。もとは項羽の部下だったが、項羽がその才能に気づかなかったために不満分子となり、劉邦のもとへ走った。韓信にとっては、項羽でも劉邦でも、自分を認めてくれさえすれば主人はどちらでもよかった。自分の才能を認め、やりたいようにやらせてくれて、それなりの報酬を払ってくれる国なら、あるいは会社ならどこでもいい、という、現代の天才技術者、天才科学者、のような存在に似てなくもない。彼は敵の裏をかく戦略を駆使してついには斉の国を手中に治め、その軍勢が項羽と劉邦の最終決戦の鍵を握った。その韓信の劉邦評がこれである。

 韓信のみるところ、(劉邦は)愛すべき愚者とい感じだった。もっとも痴愚という意味での愚者でなく、自分をいつでもほうり出して実態はぼんやりしているとい感じで、いわば大きな袋のようであった。置きっぱなしの袋は形も定まらず、また袋自身の思考などはなく、ただ容量があるだけだったが、棟梁になる場合、賢者よりはるかにまさっているのではあるまいか。賢者は自分のすぐれた思考力がそのまま限界になるが、袋ならばその賢者を中へほうりこんで用いることができる。

 そして陸賣。項羽と劉邦の戦いが煮詰まってきてから劉邦側についた優等生肌の儒家である。彼は劉邦にこう語る。

 将軍たる者は、稀有な資質が要ります。まず、高貴な愚鈍さといものがそれでございます」それとは逆に野卑な賢しさというべき資質の者は将軍に適かない、と陸賣はいった。

 さて、側近の張良は、劉邦の「際限ない馬鹿さ」や、「高貴な愚鈍さ」こそが彼の「器」であり、その器は満ちておらず空っぽのままであることを知っていた。その空虚こそが偉大さにつながるということも身を持って知っていた。

 張良が将権を代行すると、まずいことが多かった。彼が一個の実質であるため、かれに協力する劉邦の幕下の多彩な才能群ともいうべき諸将は張良の意中をいろいろ忖度することに疲れ、結局はその命を待って動くのみで、みずからの能力と判断でうごかなくなってしまう。……これが、劉邦に指揮権がもどると、幕下の者たちは劉邦の空虚をうずめるためにおのおのが判断して劉邦の前後左右でいきいきと動きまわり、ときにその動きが矛盾したり、基本戦略に反したりすることがあっても、全軍に無用の疲労をあたえない。

 このあたりなどは、読んでいて、日頃取材で接することのある現代の将軍、将校たちである経営者や管理職を彷彿とさせた。「ワンマン社長」と揶揄されるような経営者には、経営手腕には優れていても、劉邦のような「偉大なる空虚」、つまり「徳」がない。一方で、内外の知者を起用し、リスクを負ってもやってみさせる度量のある経営者には社員がついていく。2000年以上前もいまも、組織のありかたというのはほとんど

 変わっていないのだなあと思った。そしていまは治世ではなく乱世である。張良の言葉を借りれば、「非常の徳の者」が求められている。

 それにしてもこの時代、敵と味方の境界線は限りなく曖昧だった。項羽と劉邦ももとはといえば同じ軍隊の将軍だったわけで、仲間だったのだ。敵になってもお互いに一目置き合っている一方で、両者の部下にあった人間は、各々の損得勘定や個人的信条、好き嫌いなどにより、あっちについたりこっちについたりする。このなかで損得勘定以上に強い動機が「好き嫌い」だ。損か得かを考えれば、圧倒的優勢を誇り、軍人として劉邦よりも一枚も二枚も役者が上の項羽につく方がよほど得だったのにもかかわらず、多くの優秀な人物が劉邦を選んだ。韓信などはその典型で、「項王は嫌い、漢王が好き」といって「女のようなことを言うな」と諌められる。でも韓信にとっては「好きなことをすることが人生で一番大事なこと」であり、「好きなことをやらせてくれる人が好き」というだけの話である。

 年明けに始まった『利家とまつ』を見ていてもこの「好き嫌い」がいかに強い動機となるかを考えさせられた。親兄弟から疎まれ、世間からは「大うつけ」と言われ、暴力的で能無しと馬鹿にされていた織田信長に前田利家は惚れ込む。つまり「好きだ」と思う。彼の父親はやがて信長の天下が来ると思っていたようだが、利家本人は、自分より「うつけ」度の高い信長が「いけてる」と思っただけみたいだ。少なくともドラマではそのように描かれていた。劉邦の部下たちも、「漢王はクールだぜ」みたいなノリでついていた奴らが多い。これって……任侠の世界?ちなみに司馬遼太郎は項羽と劉邦の時代に最も先鋭的、つまり「クール」だった「侠」や「義」という思想的流行についてもかなりのページを割いて語っている。「義」については、年末に松岡正剛さんの取材でいろいろと面白い話を聞いた。(その一部が1月11日発売の『プレジデント』をご覧下さい)そのあと赤穂浪士を見たりして、また感じるところがあった。でも長くなるのでそれはまた改めて。

『項羽と劉邦』20年以上前に出版された2000年以上前の話ですが、おすすめです。

http://www.president.co.jp/pre/special/aiai/037.html

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