アコーディオン奏者の虞 錫安です。中国語ではYu Xi-Anと発音します。日本語ではグ・シヤクアンと読みますが、本来の発音に近い「グ・シアン」と呼んでいただいております。
日本に来てから、あっという間に17年がたちました。月日の経つ速さは恐ろしいものです!さて、私が日本に来たきっかけですが、当時、私は、とにかく「外国」へ行きたい気持ちが強かったのです。と言うのも、私の10代は、歴史の過ちとも言える、文化大革命の真っ只中でした。勉強するべき時期に、文革の影響で大学は閉鎖され、当時の若者は思うように勉強できる環境にはありませんでした。文革後期には大学も再開されましたが、「農、エ、兵家庭出身」ではない私には縁がありませんでした。そのため、「いつの日か外国へ行って・大学に入ってやる!」との思いが常に胸の中にあったのです。幸いなことに、小さい頃からずっとアコーディオンを弾いていましたので、高校卒業の2年後上海オペラハウス楽団に人団することができました。だが、「外国の大学で勉強する」という唯一の夢をその後も忘れることはできませんでした。
そして、33歳の夏、いよいよその夢を実現させるべく、生まれて1年にも満たない子供を残し、勇気を持って一人で海を渡り、日本へやって来ました。就学生、留学生として、アルバイトをしながら学校に通うという、ほぼ「年中無休」の毎日。「自由世界」を初めて知ると同時に、「辛い」ということばも味わいました。それは、肉体白りな辛さはもとより、精神的な重圧感に耐えなければならない辛さでした。
当時、私は、中国から来た多くの若者たちと同様に、10万人の留学生を受け入れようとする日本政府の政策の真意を分からずにいました。その頃の日本は、「肉体労働市場」に払いて人手が不足しており、この現状を解決するため、政府は外国から労働の担い手を迎え入れようとしたのでしょう。しかし、滞在許可のビザについては、「労働者」としてではなく「就学生」という形で発行しました。就学生には、日本語学校に通いながら、労働は 「1日4時間、 週20時間」という基準があります。ところが、1日4時間の労働では、学校の授業料すら支払うことができず、実際はもっと働かなければ生活ができません。就学生の中には、日本の学校へ進学を希望している者も多くいます。しかし、最初から勉強目的でなく、労働が目的で日本にやって来た者にとっては、就学生制度や授業料を支払うことについて納得できず、この政策が「労働力の輸入と日本文化の輸出」の一石二鳥に映ったようです。そして、多くの就学生が、勉強と労働の両立に疲れ、体力も精神力も、そして、経済的な圧迫感に耐えられず、いつしか、いわゆる「不法滞在者」となってしまうのです。学校をやめ、学費の負担がなくなったとはいえ、ビザをもらえず、しかし国に帰るわけにもいかず、合法的に生きる身分でなくなってしまう・・・。それは、罪のない人間にとって?番つらいことではないでしょうか。このような日本社会を背景に、私は就学生の一人として、これもすべて自分の 「運命」と心に受け止め、人生の一つの 「レッスン」と思い、前向きに歩くしかないと決心しました
幸いにも、挫折することなく、1年半の就学生、6年間の留学生生活を何とか無事に過ごすことができました。その間、尊敬出来る恩師とも出会いました。恩師に教えられたのは音楽の知識だけではなく、日本国民が持っている優しい心、正義感でした。日本語を覚え、日本社会に慣れるにつれ、だんだんと環境も変わり、ただの 「労働力」ではなく「留学生」として見られ、或いは認められ、人間として存在していると感じられる生活に戻れたように思えました。日本人は非常に礼儀正しい民族であり、知識と才能を尊重する民族であります。真面目に生活し、努力し続ければ、どこの国の人でも受け入れてくれるし、認めてくれるのです。
私は、卒業後すぐに、ある音楽学校に正社員として採用されました。色々苦労もありましたが、結果的に 「異国他郷」の日本で自分の好きな音楽を仕事として出来ることを神様に感謝!でも、実は、今のように先生になるとは思ってもみませんでした。
先生になって間もない頃は、とても緊張した私でしたが、生徒がくれた温かい心と笑顔、理解、そして応援によって、教えることもだんだんと好きになってきました。自分を生徒の友として、一人一人の気持ちや彼らが持っているそれぞれの目的と目標を頭の中に置いて、レッスンを続けています。生徒が毎回のレッスンを楽しみにやって来て、充実感を持って帰るように情熱を持って教えようと努力しています。
最近、ここ数年の間に、関東アコーデイオン交流会が主催するコンテストに、私の生徒が出場し、独奏部門で中級1位、初級2位、重奏部門で4位、、ンニア部門で4位、合奏部門で人賞と次々に賞をいただくことができました。生徒の上達を認められることは私としては大変嬉しいです。
また、私を支えて下さる方々のお力で、2003年に独立することができ、その年の5月には湘南に、続いて9月には東京文京区にある東京ドーム近くにアコーディオン教室を開きました。場所にも恵まれ、明るい雰囲気のおかげで、生徒の数も増えています。
日本で教える仕事を始めてから、9年目になりました。よくよく考えてみると、私は生徒に教えたことより、生徒から学んだことが多いようです。日本語は勿論、社会経験、知識、能力、人間性等の面で、自分よりずっと上の生徒がたくさんいて、いろいろは面で大変勉強になりました。心の中で、いつも恵まれていることに感謝しております。
正直に言いますと、私は今でも 「先生」と呼ばれることに、すごく不安を感じています。常に自分を磨いていないと、そのうち 「先生」と認められなくなってしまうのではないかと・・・・。これからも、この恵まれた環境に甘えることなく、日々、努力して参ります。日本アコーディオン界の先輩先生方、及び、ブロ演奏者の方々に是非是非これからもご指導を頂けますようお願い申し上げます。これからも微力ながら、少しでも日本でのアコーディオンとその音楽の普及、そして、活動を通して中国と日本、また世界各国との友好交流に貢献が出来ればと心から願っております。
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