2003年春、私達は東京支局に赴任しました。
当時、日本の新聞やテレビのニュースで、中国人の日本での犯罪の報道を耳にし、何ともいえない気持ちになりました。強盗殺人を犯し、日本国民に危害をもたらした中国人の犯人を憎むと同時に、メディアの報道に対し違和感を覚えたのです。法を犯しているのはごく少数の人間であるのに、過剰な報道は不当ではないかと。
ある時、東京で華人の集まりがあった際、名刺交換し交流するなかで、私達は在日華人のなかに、無名ながら日本社会、日本経済の発展に貢献し、中日両国の交流に尽力している人々が数多くいることを知りました。
彼らは平凡ではありますが、たゆまぬ努力を続けています。彼らこそ、在日華人社会の主役といえるでしょう。
私達は、このような華人達の日本での生活状況、日本社会に溶け込んだ経験および打ち立てた業績等について、我が放送局を通じて多くの日本人の皆さんに、身の回りにいる大多数の華人達は信頼できる存在であることを 伝えたいと思いました。そして、日本のメディアの一方的で偏った報道を補足するものになればと考えました。
取材のなかで私達は幾度となく、取材を受ける方々が日本で創業したばかりの頃の艱難辛苦を思い感動し、彼らが日本で挙げた特筆すべき功績に誇りを覚え、中日友好へかける揺ぎない思いと尽力に敬服しました。我々の思いは彼らが異国で研鑽を積んだでこぼこ道をともに進み、我々の涙は彼らの眼いっぱいにあふれきらきら光り輝く熱い涙とともに流れ落ち、我々の笑い声もまた彼らの成功の喜びの中に降り注ぐのでした......
このような在日華人一人一人の思いと声が、私達を後押ししてくれました。このような華人を代表するような人々を紹介し、彼らの心の声を、彼らに関心をもっている国内の同胞や日本の皆さんに伝えなければなりません。このような初志と信念のもとに、我々はこの2年の間、暑い夏も寒い冬も、東京であろうと千葉、埼玉、更に遠い関西であろうと、取材の手がかりをつかむやいなや、日本各地に飛びました。在日華人の多くは、社会の要望に応え、寸暇を惜しんで仕事をこなしています。取材した方々もみな要職にあるということもあり、取材日時も常に変更の繰り返しでした。幸いなことに、多くの理解とひとかたならぬ尽力をいただき、取材の任をまっとうすることができました。
2004年の新春より、私たちの取材はCRI北京放送中国国際放送局の日本むけ放送で番組として放送されました。多くのリスナーから、電話や手紙で番組の感想と、中日両国の代々にわたる友好への願いがよせられたそうです。我々はそのうちの38名の主人公のインタービューを文章にまとめ、日本僑報社の段躍中編集長にご協力いただき、「創業物語」という本を出版させていただきました。
また、この本を編集するにあたって、多くの日本人の友人と日本で生活している華人や華僑らの支持をいただきました。ここですべての皆様のご協力に厚く御礼を申し上げます。
中日両国の友好が一冊の輝かしい大著であるならば、我々はこれらの文章が、その中の薄い一ページになることをひたすら願っています。なぜなら、これは中日両国人民の心血と友情が凝縮したものであり、在日華人が自ら体験した偽りのない感慨であり、ここには彼らの百様の人生、魂の叫びがこめられているからです。
編者
2005年早春の東京にて
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