新疆大学コンピュータ学部には、李堅という身体障害者の大学生がいます。李堅さんは8歳の時、生まれつきの二分脊椎症(脊椎裂)を治療するために手術を受けた時医者が失敗したため、両足で立てなくなりました。李堅さんの母親の孫新蘇さんは、息子のために仕事を辞めて、小学校一年生から高等学校三年生までの12年間、半身不随の息子を車椅子に乗せて学校に通い、息子はついに大学に入学できました。そこで、今日はこの強靭である母子の物語をお話しましょう。
李堅さんはウイグル市の普通の市民家庭に生まれ、父親は倉庫の管理員で、母親は中等専門学校の教師です。李堅さんは8歳の時に手術が失敗したため、の身体障害者になりました。
李堅さんが健常な子供と同じように通学するため、孫新蘇さんは何回も、息子を車椅子に乗せて学校に行きましたが、身体障害者の学校に行かせるよう学校に勧められ、通学を拒否されました。しかしその後、孫新蘇さんは絶えず懇願した結果、ついにある学校がその誠意に感動して李堅さんの入学を許可しました。
息子を鍛えるために、孫新蘇さんは李堅さんに自分で杖をついて学校に通わせることにしました。それは十キロもある道のりです。ある雪が降る日、李堅さんは杖をついて、途中で何回転び、地上に座りこみました。挫けて腫れあがった足首やけがした両手を見て、急に泣き出し、「もういやだ」と叫んで杖を遠く投げ出しました。その時、孫新蘇さんは息子を助けようとしましたが、「あまやかしてはいけない」と思い助けませんでした。
こうして、李堅さんはとうとう杖をついて自分で家に帰りました。こういうことは孫新蘇さんに希望を与えました。李堅さんも母親に失望させないために、全力を上げて勉強しました。
李堅さんが小学校を卒業した時、息子の面倒をみるため、孫新蘇さんは仕事を辞めました。その後、家族4人の生活は主人1人の給料で維持しなければならなくなり、非常に貧しい生活でした。李堅さんはその時の生活のことについて、(効果2 李堅の話 漢語)「支出を節約するため、母はいつも野菜市場に行って野菜の葉を拾った。ある時、野菜を運ぶ車から落ちたネギも拾い、一本のネギを3回に分けて食べた。こうして、母は節約したお金を私の書籍費に使ったのだ」と述べました。
李堅さんと彼の母親が示した自立の精神と善良な人間性が学校の先生、学生、また隣近所の人々を強く感動させ、いつもお金を寄付するだけでなく、住民委員会も李堅さんの毎月の最低生活保障費を150元から250元に増やしました。
李堅さんは優れた成績で新疆大学に合格しました。しかし、大学での学費は1年で10000元もかかり、孫新蘇さんはこんな多くのお金がありません。学費のために悩んでいたところ、地元の民政部門は5000元を送ってくれました。
孫新蘇さんは、「私自身の力だけでは息子を大学に入学させるなんかできない。社会の人々に感謝しなければならない。息子の第1学期の5000元の学費は民政部門が寄付してくれたもので、また、住民委員会と新疆身体障害者連合会は私たちの困難さを知って、お米や小麦粉も送ってくれただけでなく、2000元を寄付してくれました。多くの人々は私たちに援助の手を出してくれた。私たちは一生にこれらの人々の恩を忘れられない」と述べました。
現在、李堅さんはすでに新疆大学コンピュータ学部の学生となりました。彼は非常に勤勉に勉強しています。
自分の息子のことを、孫新蘇さんは自慢をこめて、「長年の苦労に値するものだ」と述べました。
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