ここ数年来、中国政府の西部大開発政策の実施によって、新疆ウイグル自治区は社会の安定、経済の急成長を実現しました。それに、新疆の多くの文化創作者が様々な芸術形式で作り出した文学、美術、歌謡と舞踏、映画とテレビドラマなどで、美しくて不思議な新疆は生き生きとして多くの人々の目の前に現れるようになりました。それで新疆ウイグル自治区の国内外での知名度もますます高まっています。
「雑話」は新疆ウイグル自治区を含む中国西北地区の民族芸術の一つであり、住民は地元の方言を使って、民謡やことわざ、順口溜、つまり、民間ではやっている話し言葉による韻文の一種などを演じています。趙国柱さんは中国民間芸術家協会理事で、新疆ウルムチ市民間芸術家協会の議長でもあります。彼が作り出した話芸である雑話作品を聞きながら、思わず別の世界にいるようで、新疆自治区が目の前に浮かぶようです。今日のこの番組は、趙国柱さんの雑話芸術をご紹介しましょう。
お聞きになっているのは趙国柱さんの雑話作品です。ここ二年来、新疆の都市部や農村部で、この新疆風の独特な芸術を楽しめる人々がどんどん増えるようになりました。
新疆の冬はとても長くて、寒いのです。冬になりますと、地元の人々はほとんど外に出ず、部屋の中に閉じ込められ、友達四、五人ぐらいで世間話をします。その時、雰囲気をリラックスさせるため、漫才、民謡などの軽い話題が取上げられることはいつものことでした。この他、新疆の土地は広大で、人間が少なく、ゴビ砂漠などが多いことから、人々は旅行中でも、何時も集まって、笑い話、民間故事などの話題で道中の退屈しのぎをし、気分を晴らしました。だから、雑話はこの新疆ウイグル自治区の独特な民間芸術として生まれました。
趙国柱さんは1970年代、ウルムチで文芸活動に従事していました。当時、彼は偶然なことで、地元の住民から様々な民謡、諺、順口溜などの雑話を耳にし、すぐそのユーモアさやリズム感などに心を奪われました。雑話の収集と整理もだんだん趙さんの仕事の一部となりました。その後、趙国柱さんはただの作品の収集と整理に満足せず、自分の力で新しい雑話を作り出すべきだと考えるようになりました。44歳の時に、彼が苦労を重ねて、作り出した雑話作品「劉雑話」がようやく出版され、熱い注目を浴びました。
趙国柱さんはその後、引き続き地元住民の話題になっていることをテーマとし、創作されたいくつかの雑話の作品も観客の好評を博しました。中には、何人かのお年よりの民間職人のところを訪ね、体験したことが彼にとって忘れられない思い出となりました。職人の中には年配の方々が多いので、彼らの技を受け継ぎたい人は少なく、その貴重な資料を早く整理しなければ、後世に残らなくなる恐れはあります。数年前、趙国柱さんは新疆東部の哈密地区に足を運び、曲子劇を歌えるある年配の職人を訪ねました。
当時、この地区には宋家義という年配職人がいました。哈密地区で出版された「新疆曲子劇」というものに収録された曲のほとんどは彼が歌ったもので、彼は数十冊のこのような劇の脚本を書いています。ところが、会ったときに、宋さんは既に目が見えなくなり、昔の録音テープを流れてくれましたが、現場で一回歌ってみてもらえば、既に口を開けられなくなりました。だから、民間芸術を守るには、一刻も怠けることができないのです。
趙国柱さんは雑話作品の創作と整理に夢中になるだけではなく、最近、いくつかの大学で教壇に立ち、文学部と音楽部の学生に雑話の芸術を伝授するようになりました。彼は、「一人の力ではどうしても足りなくて、新疆の民間文化に関心を持つ人々がますます多くなるよう願っています。特に大学生もこれに関心を持ち、共同で民間芸術の整理に参加すれば、この活動はもっと有意義になるでしょう」と述べました。
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