黄帝は中国人の始祖だと言われています。中国人は自分が黄帝と炎帝の子孫だと思っています。ですから、毎年、海外や香港、マカオ、台湾から大勢の人たちがやってきて、陝西省にある黄帝陵に来てお参りをします。
黄帝は今から5000年前の新石器時代の集落のリーダーだったとされています。黄帝に率いられた人々は中国北部の陝西省を中心に生活していました。ほかの集落との戦争に勝利し、黄帝は主導的な地位を獲得しました。古文書によりますと、黄帝が指導者を務めていたころ、中国は政治、文化、農業、天文、法律、医薬、音楽、数学、文字などの分野で大きく発展しました。このことから、黄帝は中国の文明を発展させたといえます。今はよく中国5000年の文明という言い方をしますが、この5000年とは、黄帝の時代から計算したものです。黄帝は中華民族の始祖だと見られています。
黄帝は118歳でなくなった後、生前生活していた陝西省に葬られたそうです。死ぬ前に、黄色い竜が空から降りてきました。竜は黄帝に「あなたの役割は十分果たした。わたしと一緒に天に戻ろう」と話しました。 黄帝は自分の命がまもなく終わると分かって、竜に乗って飛んで行きました。竜が陝西省の橋山を通っていた時、民衆はそれを見て、すぐ各地から集まって来ました。みんな涙ながらに黄帝の袖をつかんで、地上に戻そうとしました。しかし、竜はやはり黄帝を連れて飛んでいってしまいました。その跡には黄帝が着ていた服が残されていました。人々は、黄帝の服を橋山に葬りました。これが伝説上の黄帝陵の由来です。
陝西省にある黄帝陵はものすごく広くて立派だそうです。面積は4平方キロあります。山に囲まれている黄帝陵には樹齢の長い木がたくさんあります。黄帝陵の入り口に入って、すぐ一本の立派なコノテガシワの木が見えます。この木の周りには樹齢3000年以上の木がたくさんあります。
黄帝陵にある宮殿には黄帝の肖像画があります。絵から見れば、黄帝はほかの農民たちとほとんど変わらない服装ですが、とても自信に満ちた表情をしていて、民衆を率いて前に進んでいく様子です。
今も、黄帝のお墓参りをする人が大勢います。黄帝陵には祭る儀式を行なうための広場があります。この広場は1万平方メートルあまりあります。すべて花崗岩で造られたこの広場は数万人が入れます。広場の両側には巨大な鐘と太鼓があります。鐘の音は5キロ離れたところでも聞こえるそうです。
黄帝から始まった文化がすべての中国人を繋げているといってもいいです。もし中国、あるいは中華民族の歴史を詳しく知りたいとお思いなら、黄帝陵に行かれることをお勧めします。
|