5日目:8月23日、敦煌ー北京(その二)
着陸したのはいいが、ビルへの直接ではないので、タラップからバスに乗っての移動だった。空港ビルへ入るとやはり首都空港である、とにかく凄い、ドメスティックとはいえ大変な混雑であった。空港から市内へ向けて出発する。ツアコンは初日に会った内モンゴルの青年であった。地方から都会へ出て来たせいもあるが、とにかく半端じゃない。自動車専用道路は片側3車線で切れ目なく流れている。市内へ近づくにつれ益々混んでくるが、主要道路とあって全て高架線で当然立体交差だし道路の両側には高層ビルが林立していて、
20年前の面影はまったくない。唯ここは東西南北が碁盤の目状だから大体何処を走っているかは想像がつく。それにしても、あののどかな北京はどこへ?全てが平面的に広がってたのは何処へ?窓から目を離すことが出来ないばかりか、頭の回路かショートサキットを起している。やっと中心部分に差し掛かってきた。すると見覚えのある風景が見えて来た。
建国門近くの外交官専用アパート群である。昔はよく建国飯店に在ったイタリアンレストランに来たことを思い出した。近くには北京古観象台も残されていたので所在地は判った。
ホテルは朝陽門大街通りに面したところにあった。30階建ての4っ星で「北京凱莱飯店(グローリア)」と言うなかなか豪華なホテルである。ロビーやエントランスの作りも大理石やメタルがふんだんに使われている。きっと華僑系だろう。ただ良いものを使っていて素人受けはするが、技術的にはまるでだめだ、私はこのような所へ来た時にはまずトイレに入ってその詳細をみると大体程度が判る。材料はなかなか良いものを使って、デザイン、色調もそれなりに合わせてあるが、職人の技術、それを管理する技術はまだ遠く、日本の比ではない。小便器が詰まっていたり、洗面所の周りはビチャビチャに濡れていたり、トイレットペーパーが散らかっていたり、ロビーへ戻ってチェックインの様子を見ると3~4人いるのに、客がけっこう並んで待っていたりと、サービスの面でも相変わらずの中国人を見て安心?した。この巨大都市は量的、外面は立派にはなっているが、まだ本物ではないような気がした。クオリティの何たるかをあと3年で身に付けるのは無理なような気がしてならない。オリンピックが終わって大きな試練を受けて初めて本物になっていくと思われる。そんなこんなを考えながら1階のレストランに入って行き昼食となった。高橋老師が段取りしてくれた飲茶である。先ほどのホテルの質の悪さと食事の質の良さと「なんでこんなに開きがあるの?」どれもこれも美味しい、旨い「何たる違い!」機内で食べたばかりだというのになんでこんなに食べられるの。皆もガツガツ食べて殆どの皿底が白くみえる。又、娘に「お父さん!」と言われそう、うるせぇ自分もバクバク食べてるくせに!
食事を取った後、皆は友誼商店へ買い物に行くが、私はここで分かれて別行動を取ることにした。しばらくぶりなので、日中友好病院を訪ねてみようと思ったからだ。夕方の集合時間を確認してタクシーに乗る。早速運転手に行き先を告げると判ったようだ。ここ6日間中国語を話し聞きしてきたので、だいぶ思い出し、発音も慣れてきた。
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