北京っ子の骨董好き、歴史、教養、文化、芸術好きに圧倒される思いだった。「藩家園」は壮大な宝物(といっても関心のない人にはガラクタだが)の山である。
冬と春がせめぎ合いをしているような寒さがぶり返した3月半ばの日曜日、思い切って早い時間に出かけてみた。吐く息が白くなり、霧のような氷雨まで降ろうという朝9時過ぎ、市場の中はそんな寒さにもかかわらず、大勢の客や販売業者らでごった返していた。土曜、日曜の開園時間はなんと早朝4時半から。9時過ぎで既に混雑しているはずである。
「藩家園」は、北京に多少なりとも馴染んだ人ならば、知らない人はいないだろう。北京中の、というより中国全土から北京を目指して集められたと思われる様々な民芸品、家具、彫刻、仏具、貴金属、書画、骨董などの一大陳列販売市場である。広さは、ちょっとした野球場ほどある。高い天井だけが設置された吹きっさらしの広場に小さな店がひしめいている。その売り場を取り囲むように2階建ての建物が何棟かあり、こちらはより高級なものを扱う個人商店が収まっているらしい。天井のない雨ざらしの敷地にも地べたに敷いた布の上に品物を直に並べている人たちが大勢いる。さらに、やや離れた一角には重さ数トンもありそうな石塔や石仏、観音像、麒麟や狛犬(?)など、大小様々な石彫を売る広場まである。
聞けば、大小2,400軒もの店がこの市場に出店しているそうだ。一軒に一人と数えても2,400人である。好事家にとっては垂涎の的になりそうな高価な逸品から、道端に転がっていても誰も見向きもしないようなガラクタに見えるものまで、とにかく人の手にかかって細工を受けたと思われるありとあらゆるものが、市場一杯、所狭しと並べられ売り買いされているのだ。
うっかりすると足元の品物を踏みつけてしまいそうな狭い通路で、ある人は立ち止まって品定めし、ある人は値引き交渉し、また多くの人たちはゆっくりと流れるように行きつ戻りつしている。客は個人の消費者ばかりでなく、売るための品物を仕入れに来ている人も多いようだ。年配の西洋人たちの姿も目立ち、買い求めた品物の袋をぶら下げている。しかし、大勢の人たちが詰めかけている割にさほどの喧騒はない。それも、ここで商いされている品物の性質と大いに関わりがあるのだろう。
そんな大きな市場に漠然とやって来て何か買おうと思っても、なかなか難しいのではないか。それというのも、品物が多すぎるからだ。ぶらぶらと歩き回っているだけで物の多さに圧倒されて、自分が何を買ったら良いのか、何が欲しかったのか分からなくなってしまいそうな気がする。
私が今回買いたいと思ったのは、香炉と仏像を買うことだった。部屋に置いていたものは、次々に来客や日本への土産にしてしまい、手元に何もなくなっていた。買うものを絞って出かけては来たものの、気に入ったものを見つけるのはやっぱり難しかった。目移りしてしまうのと値段の折り合いがつかないのとで、なかなか決めることが出来ない。
2時間以上かかってやっと買い求めることが出来たのは、小さな香炉と、石を刻んだ仏頭だった。値段は無いに等しい。その香炉を買おうとした時に、40歳前後の男が示した最初の値段は400元だった。「それなら要らない、よそへ行く」という身振りで大仰に伝え、やりとりの後、向こうが提示した最終価格120元を、88元まで落としたのである。それで良かったのかは分からない。
仏像はどれも法外な値段で交渉意欲を失った。代わりに、向こうが示したままの値段で買ったのが、わずか10元の仏頭である。高さ7、8センチの小さなものだが、ずしりと重い。頭陀袋にいくつもごろごろと詰められていたものの中から選んだ一つだ。中国の何処かに、こうしたものを毎日毎日刻んでいる人たちがいるのである。細工は稚拙でも、確かに人の手で刻まれたと実感できるものだ。
この二つのものは今、部屋のテレビの上に置かれている。眺めながらしみじみ感じるのは、長い長い中国の歴史と文化がこうしたものとものへの執着を生み、「藩家園」の今を支え続けているのだということである。
(写真、文 満尾巧)
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