「界首の彩陶」の歴史は1100年前の隋と唐の時代にさかのぼることができます。界首の彩陶は唐三彩の特徴を持ち、民間の切り紙と版画の特色をも融合したもので、中国の焼き物の中では少数派に属します。1999年、中国中部の安徽省の界首市付近の運河の底から多くの陶器の破片が見つかり、当時は考古学上の大発見として有名になりました。
界首の彩陶作りは、まず、土台を削って仕上げした後、700度から800度の高温で素焼きします。レンガのような赤い焼き物ができますが、この素焼きした作品に上薬をかけて、また1000度から1050度の高温で丸二日間焼き上げます。そうすると、模様が白く、生地が赤い作品ができます。
界首の焼き物は歴史が古いだけでなく、今作られているものも世界的に高い評価を受けています。界首の伝統的な焼き物は、馬に乗る人を表現する場合、鞭を持った人の模様だけを描いていましたが、87歳の職人、芦山儀さんは初めて、刀と馬と人を描いた「刀馬人」シリーズをデザインしました。伝統的な赤と白のほか、緑色をも付け加えた「刀馬人」シリーズの陶器に水を入れて、日の当たる所に置けば、馬と人が動くように見えるそうです。芦山儀さんが作った「刀馬人」は中国美術館、中国国家博物館のほか、イギリスの国立ビィクトリア&アルバート博物館など10数ヶ国の博物館にも所蔵されています。
唐の時代から、界首の陶器は贅沢品として、貴族や財力のある人たちに好まれていました。毎年、数多くの界首彩陶が北京と杭州を結ぶ運河を通じて中国各地に運ばれていました。ですから、19世紀から界首周辺の村々は陶器作りに熱中していました。当時、13の村に陶器作りの大きな竈(かまど)が設けられていたことから、界首周辺は「13のかまど」という別称も得られました。今では、これらの竈の姿はもうなくなりましたが、名前に「竈」が付いている村は13ヵ所もあります。これらの村には、小さな古い竈の遺跡がまだ残っています。
界首の陶器作りの技術は身内にしか教えず、陶器作りは家族以外の人に見られてはいけませんでした。身内の弟子でも、まずは陶器作りの見学からその修業を始めます。何回も見学した後、その陶器を作って見ます。出来た作品によって、師匠はこの弟子に生まれつきの陶器作りの才能があるかどうかを判断します。才能があると判断された弟子にしか師匠はその技を教えないとのことです。界首の陶器作りの技術を身につけるには、少なくとも3年間は必要で、一生稽古しても身に付かない場合もあるそうです。
ちなみに、界首の陶器作りの技術は2006年に国家クラスの無形文化遺産リストに始めて登録されたいくつかの遺産の一つとなりました。(翻訳:姜平)
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