北京市南部の東四八条にある「宝文堂」書店は、かつて帳簿を主に販売する小さな書店でしたが、現在は書籍の出版、発行と販売を一手に行う大手の書店です。この書店は、清朝同治元年(1862年)に創立されたもので、中国で歴史が最も長い書店の一つです。
1866年に、「宝文堂」書店は営業不振で倒産の危機に瀕していましたが、オーナーの同郷である劉永福氏が出資して、「宝文堂」を買収しました。その後、劉永福氏がこの書店を親戚の劉永和氏に譲渡し、その経営を彼に任せました。劉永和氏は、取り扱う品物を帳簿だけから書籍を加えて、その業務内容も印刷、出版、発行と販売までに広げました。そのため、店の名前も「宝文堂書舗」にと変わりました。当時は、古典文学、大衆向けの分かりやすい書籍などを主に出版し、農民の読者を対象としていました。
1929年以降、「宝文堂」は木版の印刷を鉛版の印刷に変えて、印刷の精密度を高め、発行量も以前より増えました。当時、一部の貧しい地域では、「宝文堂」の本を卵で購入することができたことから、「卵の本」の書店と呼ばれて「宝文堂」はよく知られるようになりました。これは、書籍の発行拡大につながっただけでなく、店のPRにもなりました。当時、河南省、河北省、山東省、山西省、甘粛省、それに、内蒙古、吉林省、遼寧省や黒竜江省などの農村部には、「宝文堂」の発行所が500ヶ所以上もありました。
その後、「宝文堂」は「宝文堂同記書局」と名前を変えました。抗日戦争の期間中は、書店の経営ができず、印刷機を碾き臼の代わりにして、穀物の加工サービスを行っていたこともあります。
1954年、「宝文堂」は「通俗読み物出版社」と合併しましたが、1958年には「中国演劇出版社」傘下の出版社となりました。文化大革命中、「宝文堂」は営業を一時停止しましたが、その後営業を再開しました。(翻訳:姜平)
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