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長城は2000年前の春秋、戦国時代から築かれ始めました。世界の建造物の中では修築にかかった時間が最も長く、その工事は最も大きい古代防御工事と言われています。紀元前221年、秦の始皇帝は中国を統一した後、これまで各国に築かれた長城を繋げることを命じました。それにより、漢の時代には、長城の長さはなんと一万キロメートル以上になりました。長年の風雨にさらされ、また、長城の戦略的役割が失われつつあることに伴い、早期の長城はひどく破損されています。現在比較的完全な形で保存されているのは700年前の明の時代に建てられた長城です。
実際長城を建てた人は三種類いました。まずは軍隊の兵士です。長城の修築は国家の行動で、軍隊が主体となることは当然です。また、召集された庶民もいました。さらに、罪を犯して、辺境に流され、労役に服していた人たちもいました。
長城の主体工事は地形に沿って、山の険しい場所などを選んで築き上げたのです。これで長城の防御機能をより大きく果たすことができます。長城には多くの展望台とのろし台があります。将兵たちは強固で高い城壁で敵の襲来を防いでいました。侵入者が多い場合、のろしをあげて、周りに情報を伝え、支援を求めるんです。激しい戦いが多く長城の麓で繰り上げられたのです。
明の末に、清の軍隊との戦いがありましたが、明の軍隊は清に破られたのではなく、将軍の呉三桂が山海関の城門を開けて、清軍を迎えたという話がありました。これは長城が戦いにおける、最終的なとりででした。今はその役割は完全に失われ、貴重文化財となっています。現在の長城は観光名所として、毎年、一千万人以上の観光客を迎えています。
現在残されているのは明の時代の長城の中で、北京周辺は最も強固な部分だということです。というのは、北京は明の都なので、都と皇帝の陵墓を強固な長城を造って、守らなければなりませんでした。
北京の北郊外に長城を見学できる場所がいくつかありますが、中でも最も有名なのは八達嶺長城です。八達嶺の長城は最も強固で、しかもほかの場所よりよく保存されています。その城壁は地形に従って建てられ、長方形の花崗岩が使われています。高さは場所によって違いますが、平均して8メートルあります。200メートルおきに展望台があり、防御網をめぐらしています。
八達嶺の東にある慕天峪長城も比較的よく保存された長城です。この慕天峪長城には三つのやぐらが並ぶ場所がありますが、これは万里の長城で唯一の景色です。慕天峪長城の周りは緑が多く、特に春、桃やスモモの花が咲く頃が最も見頃だと言われていますね。
司馬台長城の周りの山は切り立っているので、最も険しい長城と言われています。このほかにも、山間にある居庸関長城と麓に湖がある「黄花城長城」などがあります。どれも一見する価値があるそうですね。
現在の長城は軍事的な役割がなくなりましたが、その建築としての価値、また、歴史文化遺跡としての価値がかなり高いです。中国人にとっては万里の長城は中華民族精神のシンボルにもなるわけです。
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