<概況>
川底下村は、北京市内から、約90キロ離れた門頭溝区にある村です。明・清時代の建物がほぼ完全に残された四合院建築物が約70戸余り残されています。明時代の初期、北方民族の侵入から都を守るため、現在の山西省から移住させられた人々が住み付いた村で、それ以来、村人は全て、「韓」という苗字を名乗っています。通りすがりの村人にあなたの名前は?と、聞いてみると、笑いながら「韓」と答えてくれました。「韓」以外の姓の人は、ほかの地域から結婚などで引越してきた人がほとんどです。
<川底下村の歴史>
川底下村には500年以上の歴史があり、昔は、北京から山西省に行くのに必ずここを通らなければならなかったそうで、北京と河北省、山西省を結ぶ唯一の道路にある宿場町で、貿易の拠点として栄え、北京を守る重要な軍事基地でもありました。清の時代には一時、1000人規模の村になり、科挙に合格し高級官僚に任命される者もいたと言われています。
最近では、新しく建設された国道109号線からはずれ、経済発展から大きく取り残されてしまいましたが、そのおかげで、村はそのままの形で保存されることになりました。現在は観光が主な収入源となっていますが、以前は村は貧しく、蜂蜜の生産が主な産業でした。
<神秘的な川底下村>
川底下村はとても神秘的な一面があります。川底下村は、山に取り囲まれています。村全体は南に面して、中国の風水学の理論に基づいて言えば、吉だということです。
また、画家の は1998年10月、ここでスケッチをしていたときに、山が眠っている観音様の形をしていることを発見し、2003年正式に、発見者として認められました。
<村と村人の苗字>
川底下村は、中国語では、爨底下村と書きます。この爨という字は、一見、繁体字だと見えますが、実は簡体字です。読み方はcuan(2声)です。この爨には、『ご飯を炊く、炊事をする、かまど』(小学館 中日辞典)という意味があります。明の時代には、急峻な渓谷に阻まれた土地柄から爨底下と呼ばれていたそうです。
この村は、火、焼、熱、旺と関係があったそうで、中国古代の考え方である陰陽五行とのつりあいを取るために、この村の人はみな、「韓」と名乗り、同じ読み方の「寒」にかけているそうです。
<アクセスと宿泊>
北京市内ー川底下村:国道109号を通り、約90キロ、車で2時間ぐらいかかります。
川底下村の民家はほとんど民宿旅館となっているますが、シングル、ツイン、と田舎式の炕(カン)があります。
シャワーがついている民家もあります。
食事は各民家が出来ます。本場の田舎料理です。
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