洛陽の白馬寺は、市内から12キロ東部にある。中国の仏教の発祥の地なのである。歴史は遡り、後漢の時代、インドから摂摩騰、竺法蘭という高僧が白馬に経典と仏画を持って洛陽に入り、朝廷に迎えられた。紀元68年に白馬寺は、皇帝・明帝が彼らのために建立したものでのちに、白馬寺と呼ばれるようになった。(後漢書・西域伝)
この寺の山門の前には少し汚れた白馬がいて、観光客からお金を取って記念撮影に応じている。値段はかなり高い(100ー200元)。門前市の商人、中々うまい商売を考えたものだ。
正門をくぐり寺に入ると、左右にインドからの高僧の墓が残されている。 「清涼台」は、一段と高い基壇の上に築かれ、煉瓦の塀に囲まれた建物がある。この建物で、二人のインド僧はせっせと仏典の漢訳をしたという。何度も火災にあっており、唐代には則天武后によって大改修された。しかしまた火災が起こり、現在の寺院は、明清代に改修されたもの。
洛陽と西安の間の山間部には、日本の唱歌「箱根の山は天下の険」の歌で有名な「函谷関」がある。洛陽は西安と並ぶ歴史の古都、隋の煬帝はここに都を置いた。唐代には西安がどちらかというと政治の中心だったのに対して、洛陽は経済的に栄えた。則天武后はここがお気に入りで、都を西安かから移している。黄土に覆われて埃っぽいが、地元の住民は、「埃っぽいのが洛陽人の誇り、埃のないところに行くと、体調まで狂う」と、話してくれた。
1175年に建立された13層の「斉雲塔」と呼ばれる有名な建物が見える。その脇には尼寺がある。ここでは炎天下でも、身体を地面にひれ伏すようにして行う、「五体投地」という修行で塔の周囲を回りながら礼拝をする敬虔な仏教徒がいた。
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