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北京の胡同めぐり
   2005-11-09 19:07:46    cri

胡同は、北京の伝統的な民家・四合院が並ぶ横丁のことです。モンゴル語の言葉の音訳、つまり当て字だそうです。

 13、4世紀、都を北京にした元の時代に生まれた言葉で、もともとの意味は、井戸。転じて横丁を指すということです。

 北京の胡同はかつて3000を数えたといわれています。元の時代に次ぐ明の時代と清の時代には、一つ一つの胡同のことが詳しく記載された本があるそうです。でも、現代、北京の再開発が進むにつれて、これら胡同は、姿を消しつつあります。

 胡同は、貴重な文化財だということを北京市政府は認識し、故宮から北へそう遠くないところにある什刹海の周囲に残る胡同を保存することを決めました。

 「什刹海」の什刹は、昔、その周りに古刹が十ヵ所あると言われ、そういう意味で、海は、実は人工の湖です。

 先人の残した住居を保存するだけでなく、そこでの暮らしそのものを生きた文化財として残そうというものです。そこの胡同を巡っていけば、北京の伝統的な文化を理解できるだけでなく、北京の庶民の生活を目の当たりにすることができます。

 22日、私達放送局のリスナーの集い、長野県北京放送を聞く会訪中団一行と一緒に胡同をめぐってきました。

 胡同は、長くて狭いです。輪タク、人力三輪車に乗って、巡っていくのが格別な趣があります。最近、外国人だけではなく、胡同を輪タクでめぐる小さい観光コースは、中国人の間でも人気になっています。

 22日午前10時ごろ、この輪タクに乗りました。

 そして、着いたのは、「南宮房胡同」にある一つの四合院の玄関の前です。

 胡同の両側にあるのが、四合院で、北京の伝統的な民家ですね。中庭を囲むように東西南北にそれぞれ棟が配置されていることから、そう呼ばれています。

 昔の建物と言えば、二つの面でこだわりがあると思います。まず、地位によって、建て様式が違うということです。当時の高官とお金持ちの四合院は、広々としていて、柱や廊下、軒に絵や彫刻が施されています。玄関の門から見ますと、地位が高ければ高いほど、門が大きく、高いです。そして、門にある飾りも多くて綺麗です。それに比べて、庶民が住んだ四合院は、構造が単純で、門は狭くて軒も低いものです。階級が厳しかった時代でしたね。

 もう一つは、昔の人の暮らしには、縁起のいいものが大量に使われていることが気が付きました。たとえば、牡丹は、富貴、財産と地位のあるの象徴です。蝙蝠は、その発音が、幸福の福と一緒なので、縁起がいいとされ、その模様がよく使われいます。などなどがあります。

 四合院の中に入って、ご主人の左さんは色々説明してくれました。

 「ここは、北京の典型的な四合院です。北のほうにあるのは、正房とよばれ、正面の正で、暖房の房です。つまり四合院の一番いい部屋です。お年寄りたちが住んでいる部屋です。この四合院は明の時代に作られたもので、今まで400年以上の歴史を持っています。屋根の瓦は珍しい瑠璃瓦です。瑠璃瓦は地位の高い人しか使えないものです。それから、黄色い瑠璃瓦は皇帝しか使えません。ここに使った瑠璃瓦は黄色い瑠璃瓦と緑の瑠璃瓦があわさっています。これは、この四合院に住んでいた人が皇族であることを示しています。もし、普通の人と皇族の人が全部黄色い瑠璃瓦を使ったら、皇帝に首を切られ、大変なことになります。

 南にある部屋は、北向きだから、冬には寒くて夏には暑いです。だから、お手伝いさんが住む部屋、あるいは倉庫として使われています。」

 左さんは続いて東にある部屋を紹介しました。「東にある部屋はちょっとよいです。封建時代、中国では男尊女卑ですから、息子はこの東の部屋に住んでいます。それに対して、娘は向こうの部屋に住みます」と。

 庭に植えた桐の木が見えました。それは、特別の意味があります。桐は、中国では縁起のいい木です。伝説によりますと、鳳凰を招くことができます。自分の家の娘が将来鳳凰のように美しく成長していくという願いが含まれています。また、庭にはざくろの木もよく植えられていました。ざくろの木は、家の子孫がざくろの種のように多いことを代表しています。

 庭では、また、金魚鉢が大発見。金魚と言うと、金はお金、中国語で魚の発音は余るの発音と同じで、いつも生活が豊かしていることを意味しています。それから、中国語で魚の発音はまた玉と同じで、家にはお金と玉が使えきれないほどいっぱいあることを意味しています。

 四合院には、いまでも北京市民が住んでいますね。繁華街からちょっと離れたところにあり、観光客で賑わっていますが、普段の生活は、実は静かでのんびりしていると思います。

 ところで、胡同、四合院の見学には、特別なものも見逃せないんですね。庭園式の四合院建築と大きさ、中山公園に当たる恭王府、清の時代の皇族が住んでいた邸宅です。

 この二ヶ所は、かつて、乾隆帝時代の役人、和珅の邸宅でした。和珅は、汚職で殺されましたが、お金をかき集めて私腹を肥やし、豪華な邸宅を作り上げました。北海公園の北側ある郭沫若記念館は、その一部で、郭沫若がそこで最後の15年間を過ごしました。

 郭沫若とは、有名な作家で歴史学者でもあります。日本との縁が深く、22才のとき九州帝国大学の医学部に留学したことがあり、晩年は、日中友好協会の会長も務めたということです。

 新中国成立後、国の指導者のトップの一員となり、日本では、文学者としてばかりでなく、政治家として有名だそうです。

 郭沫若故居の中には、庭園式な四合院がみられるだけではなく、郭沫若に関わる写真や実物が展示されているので、歴史、そのものが蘇ってくるような気がするでしょう。

郭沫若故居

恭王府

そして、恭王府は、いま花園の部分だけ公開されていますが、昔の人の私宅でありながら、公園の中に入ったような感じがします。ご興味のがあるかた、ぜひ足を運んでください。

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