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最もすごい校長とすごい希望小学校
   2008-06-02 10:03:13    cri

最もすごい校長とすごい希望小学校

ーー「最牛の校長」と「最牛の希望小学校」ーー

 四川大地震で、震源地の周辺にある小中学校の校舎の多くは、30秒間で倒壊してしまいました。北川中学校、シュウ源中学校、文化鎮小学校、エイ華鎮中心小学校と中学校、洛水鎮中心小学校など、およそ6900棟に上りました。全校400人の小学生が100人しか生き残れなかったり、幼稚園の81名の園児が半分しか残らなかったりして、合わせて6500人以上の子供が亡くなりました。家庭と国の未来を担う子供たちです。多くの人が、その親たちと悲しみを分かち合っています。その中、二つの出来事が世間の視線を引き付けています。

   

「最もすごい校長先生」・「最牛的校長」

 安県桑棗中学校の所在地の安県は、北川県と隣り合っています。1980年代の半ばに新しい(1)校舎が建てられました。正規の建(2)築業者に依頼しなかったため、校舎は惨めでした。廊下の手すりが揺れ、電灯もまちまちで、壁はセメントのまま、セメント板とセメント板の隙間の充填材料はビニール袋などなどでした。

安県桑棗中学校

中学校運動会の様子

      

 1997年、学校の責任に抜擢された叶志平先生は、この校舎の改築に乗り出しました。正規の業者に頼んで、(3)セメント板の間の隙間に、コンクリートを埋めてもらいました。重い上、飾り物同様のレンガ作りの欄干を軽いステンレスパイプに取替えました。さらに、直径37ミリしかない22本の柱に、セメントをあらかじめ入れ、基準の直径50ミリ以上にしました。授業に影響しないよう、業者と相談して、休みや土日を利用しての改築で、16の教室を持つこの校舎の工事を2年がかりで完成させました。 

学長先生の叶先生

 さらに、圧死事件が起きてはならないと思って、2005年から学期ごと、避難訓練を続けました。1クラごとに、逃げるルート、運動で並ぶ場所、2階と3階の学生が早めに走り、4階と5階の学生が遅めに走ることなど、きめ細かく決めて実施してきました。

 地震が起きた時、授業中の2200名以上の生徒と100人以上の教師は、慣れたルートから全員運動場に脱出しました。所要時間は1分36秒しかありませんでした。8棟の校舎が一部倒壊し、残りは危ないビルになりました。 

 当時、叶先生は、用事で綿陽市にいました。駆けつけてみると、11歳から15歳までの教え子たちは、運動場に集まっており、整然と肩と肩を並べ、先生たちに囲まれていました。2年かけて改築した危険な校舎で授業を受けていた700名の学生と先生たちも無事でした。

 これを見た55歳の叶先生は泣き崩れました。

 中断していた通信が回復してから、保護者からの問い合わせの電話が途絶えませんでした。電話に出る先生たちは、みんな誇りをこもった大声で、「学生全員無事、先生も全員無事」と告げました。

「最もすごい希望小学校」・「最牛的希望小学校」

北川劉漢希望小学校

 北川県から8キロしか離れていない山奥には、北川劉漢希望小学校という小学校があります。

 地震発生当時、学校のレンガ作りの(4)フェンスや民家が崩れていき、運動場の半分には割れが現れ、残りの半分は高く盛り上がりました。校舎は音を立てながら、ブランコのように揺れていました。

 建築面積1268.5平方メートルある3階建ての校舎には、483名の児童や28名の教師がいました。1階と2階にいる児童はすぐ運動場に逃げ出すことができましたが、3階にいる児童たちは逃げる余裕がありませんでした。先生の命令に従ってしゃがみこむしかありませんでした。幸い、校舎は倒れず、ゆれが止んだ後、全員逃げることができました。その夜、みんな山の中腹で過ごし、翌日、大雨の中、7時間あまりかけて、三つの山を越え、やっと安全な場所に辿り着きました。児童と職員、全員無事でした。

生徒たちの今の生活

生徒たちの今の生活

 学校の先生が希望小学校を建てた企業家劉漢さんに会って言葉をかけました。「校舎は確かに丈夫です。でなければ、逃げだすチャンスがなかったです」。

 1999年に、校舎がぼろぼろになったことを知った企業家の劉漢さんは、この小学校を希望小学校として建て替えることにしました。たとえ農村の希望小学校でも、(5)建築資材は大型工場の鉄鋼材料を使ってしっかり建てなくてはと思っていました。設計の段階では、柱に使われる鉄筋は10本でなくてならない、コンクリートの強度を確保するため、すべすべの玉石や扁平な玉石を使ってはならないなど、業者に強く求めました。デザインから資材の選択、工事、竣工の点検など、厳しく監督しました。

 業者などとよく喧嘩しながら、計画を貫きました。それが10年後、およそ500名の児童と先生の命を守りました。

 多くの人は、安県桑棗中学校の叶志平校長先生を被災地の最もすごい校長先生という意味の「災区最牛の校長」、北川劉漢希望小学校のことを「災区最牛の希望小学校」と、言っています。

(文 朱丹陽)

 

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