6月7日と8日、中国では、(1)大学入試全国統一試験が行われます。日本にとっては、大学入試の統一試験はごく当たり前のことですが、中国ではずいぶん違う意味を持っていました。30年前の1977年の末、中国では大きな出来事がありました。大学入試全国統一試験が再開され、今年はその30周年を迎えています。
というのは、文化大革命が始まったのに伴って、1966年6月、当時の高校生と中学生は、労働訓練を受けることや国を守るためなどの理由で田舎や辺境の地などへ行くことになったからです。あれから文革が終わるまで、中学生と高校生の多くが、いわゆる自分を改造し、農村などの建設に力を入れる「知識青年」(略称「知青」)になりました。中国の大学入試試験が中断され、全国統一試験を通じて大学に行くことができなくなりました。大学生になるには、「知青」を含めた若者が所属する地元の農民や幹部、それに同僚などによって(2)推薦されるのが、唯一の道でした。推薦される優先条件としては、貧しい家の出身であることなどが含まれていました。数千数万人の中から一人か二人しかいなかったということで、大学教育を受ける人はごく限られていました。このことから、これらの大学生を言う専門用語「工農兵学員」という言葉が生まれました。つまり、「工人、農民、解放軍の学員」のことです。
その後1976年文化大革命が終わりました。1977年の末になってから、鄧小平氏の指導で、大学入試統一試験がいよいよ(3)再開されました。年齢とか地元幹部による審査などもありましたが、出身などの要素がいらなくなり、実力で平等に大学に行けるようになりました。若者の間に溜まった力が火山のように爆発しました。その年、農村、牧畜民、兵士、労働者、教師、編集者、店員、公務員など570万人あまりが試験を受けました。翌年の1978年夏季試験の人数も入れると、受験の数はあわせて1160万人ぐらいに達しました。受験生の構成は、16歳から33歳まで、(4)既婚者や未婚者、親子同時の受験など、今では想像できない多様なものでした。しかし、29人のうち一人しか合格できず、合格率はだった4.5%という厳しさは、56.85%になっている今の合格率とは雲泥の差でした。また、今との違いはこれだけではありませんでした。大学に入ってから、彼らは、(5)寝食を忘れるほど勉強に全身全霊をかけました。授業の時はもちろん、消燈後はベッドの中で懐中電灯をつけたり、食堂の階段に座って食事をしながら本を読んだりするなど、一分一秒をも惜しんで、勉強に励んでいました。今、これらの人たちは、40代の後半から60代の前半になり、中国の大学の学長、大手企業の社長、新聞社の編集長、作家など、国をリードする職業についている人は数多くいます。
1977年、「文化大革命」が終わった翌年、10年間棚上げにされた国づくりの事業が待っている中、大学入試全国統一試験の再開は、国にとっても、個人にとっても第2次世界大戦の連合軍による(6)ノルマンディー上陸作戦のような転換点だったと、当時の大学生たちから位置づけられています。
(文 朱丹陽)
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