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正真正銘の国母
   2007-01-26 22:07:21    cri
 年が明けると、メディアは、いろいろな角度から去年の出来事をまとめます。人物、流行語、(1)興行収入など、さまざまです。中でも、人物編では、「王光美」という名が注目されました。貧困地区の母親を援助するプロジェクト・(2)「幸福プロジェクト」を発足させた一人として取り上げられたのです。

 特に1966年から76年まで10年にかけての文化大革命・(3)「文革」を経験した人にとって、新中国の初代の国家主席夫人としての王光美さんを知らない人はいないでしょう。少女時代を「文革」で過ごした私にとって、王光美さんはまさに(4)数奇な運命をたどった人物でした。私の少女時代、ゴム縄跳びなど童謡を歌いながらゲームするときは、王光美さんをからかったり、ののしったりする内容の歌を歌い、彼女は(5)国の裏切り物で、世界で最も悪質で(丑陋的女人)醜い女だというイメージでした。「文革」が終わり、劉少奇氏の名誉回復が行われ、王光美さんに関する真相も明らかになりました。12年間投獄生活を送り、劉少奇氏の死を見届けることもできず、5人の子供たちともばらばらになり、世話をすることも出来ないままでした。

 彼女の(6)冤罪が明らかになり開け解放されたと聞かれたときは、私はびっくりすることを禁じえないとともに、彼女への関心が高まりました。しかし、長い間、彼女に関する報道が少なかった中、たまに読んだ彼女を紹介する文章を通して、次のことが分かりました。彼女は1921年北平(北京)の高官の家庭に生まれ、父親は早稲田大学商業科卒業だっとということです。高校時代は数学が得意で「数学の女王」と呼ばれるほどでした。1945年輔仁大学(現北京師範大学)で物理学の修士号を取得しました。その後しばらくして、(7)「キュリー夫人」を目指して、アメリカへ留学しようとしましたが、兄の影響を受けて、共産党のために英語の通訳を担当したりしました。そして、延安までたどって、劉少奇しと結婚し、新中国の第一夫人になったということです。

 王光美さんは2006年10月13日亡くなりましたが、彼女を悼む文章から、政治活動に復帰しなかった王光美さんは、貧困に陥っている母親を援助する「幸福プロジェクト」の発起者の一人だということがと分かりました。専ら社会からの寄付金によって運営されるこのプロジェクトのために、王光美さんは母親から伝わった清の時代の陶磁器を含めた6件の骨董品を(8)オークションに出し、その説明書には、「子供のため、母親のため、恩に報いるため、心を捧げる」という文章を書き、これによって得たおよそ56万元を全部寄付しました。

 1995年、王光美さんが74歳の高齢になったときに始まったこの事業は、2005年までの10年間に、辺鄙なところを含めた全国に暮らすおよそ15万人の母親を支援してきました。(9)「貧困を支援し、無知をなくし、病気を治す」ことを任務としたこのプロジェクトは、今、王光美さんの子供たちの手に引き継がれているとのことです。

 王光美さん、「文革」を経験した人々に無限の思いを与える女性、彼女は2006年の人物として、(10)「正真正銘の国母」と評価されています。                       

                        

(文:朱丹陽)

                             

 

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