8月14日、レバノン(1)とイスラエル(2)の停戦に関する報道をテレビで見ました。1ヶ月以上続いたこの戦闘で、停戦は本当に実現できるのかと思いながら、画面に釘付けになっていました。画面は、レバノン兵士たちがイスラエル国旗を、イスラエル兵士たちがレバノン国旗を持って、埃っぽい砂地(3)を歩み寄り、握手して抱き合うというシーンに切り変わりました(4)。双方の若者は塹壕から出たばかりのようで、迷彩服(5)にヘルメット(6)のままの姿でした。彼らの顔は汚れていましたが、微笑みで輝いていました。相手を見詰め(7)ながら笑うその輝かしい顔が印象的で今も頭に焼き付いています(8)。これらの兵士にとって戦争とは何ものだったか、考えずにはいられませんでした。埃をたてながら、相手へ向かってだんだん速くなる足並みと、微笑みは、多くのものを考えさせました。また、これらの若者の親や友人などにとって、この画面を見て、浮かんでくる思いはきっと言葉に表せないものがあったでしょう。さらに、戦死した若者の親または妻子(9)あるいは恋人にとっては更なるものがあったに違いありません。
新聞に掲載されている停戦後の動きに関する報道では、避難していたレバノン人が我が家への帰途につく写真もありました。その中には、一人の30代の男性が5枚ぐらいの布団(10)を肩に乗せ、右手には小型のガスボンベをぶら下げ、前へ前へとせっせと歩く写真がありました。高く重ねている布団を落とさないように、左手でしっかり掴んでいました。荷物の重さで頭が前に傾いていました。しかし、彼の目はじっと前方を見詰めていました(11)。一ヶ月ぶりに帰宅できるこの男性は、前を見詰めて、戦火にあった家(12)が無事かどうかを、一刻も速く確かめたかったのでしょうか。
平和で平凡な暮らしを楽しむ私たち庶民にとって、戦争とはどういうものなのかということを、改めて思わされました。
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