7月1日から、列車に乗ってチベットへの旅ができるようになりました。「青海・チベット鉄道」(1)が開通したからです。青海省の中心地・西寧とチベット自治区の中心地・ラサの間を、26時間で結ぶことができます。北京からラサ市まではたった48時間で行けるようになり、「世界の屋根」(2)と呼ばれるチベットは本当に身近な存在になりました。世界で最も高いところを走ることから、中国ではこの鉄道は「天路・宇宙に繋がる線路」(3)とも呼ばれています。天路を通ってチベット高原を観光するという夢も膨らんでいます。
沿線には、「青海湖」(4)「崑崙山」(5)「チベットカモシカ(6)の生息地」など、絶景が集まっています。「青海湖」は、その澄み切った空のような色から「幻の海」とされています。「青海湖」は中国語の名前で、チベット語とモーコ語でもそれぞれの呼び方があります。チベット語では「ツオオンポ」と言い、「青い色をした湖」、モーコ語では「ククノル」と言い、「青い海」という意味だそうです。実は、この湖は中国で最も大きい内陸の湖であると共に、中国最大の塩湖でもあります。「崑崙山」は、中国の神話の世界では西王母が住むところとされ、そこには食べたら長生きできる「仙桃」(7)が実っているという神秘なところです。
また、「西寧」は、2100年もの歴史を持つ古い町で、シルクロード(8)にある重要な町の一つです。この町が中国人にとって特に親しまれるのは、「文成プリンセスのチベット入り」の場所だったからです。約1300年前、唐王朝は、チベット王国との良好な関係を保つため、皇帝が娘の「文成プリンセス」(9)をチベットの国王に嫁入りさせました。その「文成プリンセス」は、当時としては国から持ち出すことが禁じられていた繭などを持って、この「西部の安定」を意味する「西寧」から、チベット入りしたのです。ラサ市内にある「大昭寺」は「文成プリンセス」のために建てられたものです。
このほか、沿線には、連なる雪山、真っ白な雲が漂う青い空、貴重な花が咲く広大な高原など、非常に見ごたえがある風景があります。青海・チベット鉄道では、昼間の時間にこれらのところを列車が通るように、発車時間が調節されていると同時に、九つの駅では長さ500メートルの展望台(10)が設置され、観光客は下車して、しばらくこれらの景色を楽しめるようになっています。6月29日の乗車券発売初日には、7月2日乗車分の北京からラサまでの寝台券がわずか20分で完売したとのことです。北京からラサまでの料金は、指定席(11)が389元(日本円にして約5000円)で、寝台券(12)が813元(日本円にして約1万円)です。
大勢の人たちが注目する中で出発したこの列車が、普通の列車と最も違う点は、高山病を防ぐため万全の対策を取っているところです。車両には酸素(13)が集中的に供給されているほか、席ごとに酸素の袋が配置されています。窓ガラスが紫外線を防ぐ(14)機能を持ち、気圧調節や恒温システムが取り付けられています。さらに、座り心地の良さを図るため、揺れを緩和させるエアバッグ(15)も取り付けられています。インテリアは青、白、黄色などチベットのエキゾチックな色使いになっています。でも、誰でもこの列車に乗れるわけではありません。心臓病、慢性呼吸系疾患、糖尿病、知的障害、38度以上の高い熱がある人などは乗車できないことになっています。
ところで、2001年6月26日からスタートして、6年かけて完成したこの鉄道の敷設事業は波乱に満ちていました。1951年5月25日、チベットが平和解放された3日目に、毛沢東主席が鉄道敷設を始めることを命じました。しかし、三年間にわたって自然災害に見舞われたため、資金難などで1961年3月に中断を余儀なくされました。1974年初め、再び工事を始めましたが、ツンドラ・凍土などの技術の難題が未解決の上、スタート場所に関する意見も統一できなかったため、1978年8月に再度停止する羽目になりました。2001年6月に始まった三度目のスタートは成功しましたが、その裏には、数10年凍土のデータを集め続けた技術者たちの努力がありました。その技術者の中には、「生きている間に開通を見ることができなかったが、死んだ後でも完成した線路を毎日眺めたい。骨を近くの山に埋めてくれ」と、遺言を残した人がいました。1980年、51歳で亡くなった王占吉さんです。彼の遺骨は沿線にある山・「風火山」に埋葬されました。この下には「風火山トンネル」が通じています。ここからは列車が通る様子をはっきり見られるだけでなく、列車が通るたびにその振動を感じることもできます。そして、王占吉さんの遺志を継いで鉄道建設を続けた息子さんは、その後凍土区間にある「風火山トンネル」の工事監督を努めました。
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