20日午前11時、四川省成都市内のホテルで、日本国際緊急援助隊の記者会見が行われました。オレンジ色の制服を着ている援助隊の隊員が会場に入ると、四川省政府、中国外務省の関係者が彼らと握手を交わしました。
記者会見が始まりました。まず、四川省の黄彦蓉副省長は、四川人民を代表して、日本国際緊急援助隊に感謝の意を表すと同時に、「日本国際緊急援助隊の救援活動は終了した」と発表しました。
日本国際緊急援助隊は四川大地震発生後、初めて被災地現場に到着した外国の救援チームで、新中国が成立して以来初の国際援助隊でもあります。
援助隊の小泉崇隊長は、この五日間の援助活動について報告しました。
日本国際緊急援助隊は、日本政府が中国政府と交渉した後、国際緊急援助隊派遣法に基づいて派遣されたものです。援助隊の活動範囲は主に、青川県と北川県です。青川県のある住宅地の廃墟で、援助隊は、母子の2遺体を収容しました。その後、北川県で20遺体を収容しました。
ここは、北川県の任家坪です。日本国際緊急援助隊の基地でもあります。援助隊は、北川県の現場が2次災害の危険が高いことや、地震発生から1週間が経過し生存者発見の可能性が低くなっていることから、撤収を決めたものです。
隊員たちは荷物をまとめています。警察庁所属の41歳の隊員は、「非常に残念だ、生存者がいる可能性はまだある」と苦悩した表情で語りました。
地震発生から1週間後の19日午後2時28分、全国で犠牲者の追悼が行われましたが、隊員たちも北川中学校の廃墟で、3分間の黙祷を行いました。
生存者が救出されなかったもう一つの理由は、地震の大きな破壊力にあります。隊員たちは豊富な救助経験を持っているにもかかわらず、今回地震の破壊力に驚いています。
また、30年の援助経験を持つ原修中隊長も同じ感想を持っています。
日本国際緊急援助隊は、生存者を救出できなかったにもかかわらず、中国に到着した初めての国際援助隊です。北川第一中学校で、日本の援助隊は、北京市消防隊、綿陽市消防隊とともに、援助活動を行いました。今回の援助活動は非常に意義深い活動です。
日本国際緊急援助隊は21日午前、日本に向かいました。一方、20日午後10時50分、日本の医療チーム23人が成都に到着しました。
時事解説、今日は日本国際緊急援助隊が四川大地震の被災地で行われた援助活動についてお話しました。(取材、撮影:姜平 翻訳:ooeiei)
|