8日、五輪聖火のチョモランマでのリレーが行われ、聖火が初めて世界最高峰のチョモランマに登りました。9日午後7時、五輪聖火を運んだ登山隊と撮影隊が海抜5200メートルにあるベースキャンプに戻りました。
9日午後6時51分、歓声とカメラのフラッシュの中、中国の登山隊と撮影隊は聖火を持って、ベースキャンプに戻りました。前日の五輪史上に残る快挙のあと、顔には疲れが残るものの、メンバーたちはいつもの元気を取り戻したようでした。
2人目の走者を担当した登山隊の王勇峰隊長は「今回の登頂で最も感動したのは、登山隊から外された隊員たちの理解と支援である」と述べました。
「36人の候補は皆登頂する力を持っています。最後に、メンバーを決める時、非常に困りました。だが、選ばれなかったメンバーはほかの任務を任された時、一言も文句を言わずにそれをこなしてくれました。」
39歳の登頂メンバーである将吉吉さんにとって、今回の登頂は特別な意義があります。2005年、将吉吉さんの夫であり、同じ登山家のジンナーさんがある登山の際に亡くなりました。今回、将吉吉さんは最初の走者として、チョモランマでの聖火リレーに参加すると共に、中国で最初の3度チョモランマ登頂に成功した女性登山家となりました。その感想について、将吉吉さんはこのように述べました。
「最初の走者ですから、とても緊張しました。早く着いたので、1時間あまり待ったのです。寒いから、最後は、手と足が麻痺してしまいました。リレーの最中、トーチを落とすのではと大変心配でした」
最初の計画の中では、頂上に到着する時間は午前10時のはずでしたが、出発時間が変わらないにも関わらず、1時間も早く頂上に着きました。そして、登るのが速かっただけではなく、降りるのも速かったのです。登頂成功の翌日、皆はすでにベースキャンプに戻っていました。中国の登山隊はすばらしい敏捷性とチームワークを示しました。チベット登山学校の学長でもある3番手の走者のニーマツェルニンさんは「天気の変化は登山の最大の敵。だから、現代の登山はスピードを重んじる」と述べました。また、ニーマツェルニンさんは次のように述べました。
「現代登山の特徴はスピードです。今回、道路作りや、輸送など全く休みなく行われました。6500メートル地点から出発して、直接8300メートルの所までたどり着きました。降りる時も、直接6500メートル地点まで戻りました。チョモランマの天気変化は非常に激しいです。これが一番恐ろしいことでした」
北京五輪の聖火はチョモランマの頂上でわずか1分間、掲げられただけでしたが、この短い時間は世界の五輪史上に刻まれる輝かしい出来事となりました。そして、聖火のチョモランマ登頂のために類まれな努力を払った人たちのことも決して忘れてはなりません。
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