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進行役:王小燕、志摩悦二郎
本日のゲストは6月中旬、日中文化交流協会の訪問団を率いて、上海と北京を訪れた日本の女優、栗原小巻さんです。
栗原さんが団長を務める同訪問団は北京滞在中に、中日友好協会や北京の大学、演劇関係者と交流したほか、CRI中国国際放送局を表敬訪問しました。
栗原さんの訪中は、今回で29回目。栗原さんは何故かくも多くの回数中国を訪れ、中国の映画関係者とずっと心の通った交流を続けて来たのか、また、何故、中国にはいまだに多くのコマキストがいるのか。栗原小巻が中国と日本の映画界で展開してきた「心と心の交流」にスポットを当ててみました。
今回のインタビューの聞き手はCRIの国内向けFM放送90.5(CRIニュースラジオ)のインタビュー番組「環球名人訪」のパーソナリティ邱小雨さん(写真左)で、日本語通訳を王小燕が担当しました。30代前半の中国人女性の目に映った栗原小巻さんのイメージも合わせてお聞きください。
写真は訪問を終え、空港に向かう際、見送りに来てくれた中国人俳優の濮存昕さんと別れを惜しむシーンです。日本人残留孤児の運命を描いた中国映画「乳泉村の子」(1992年)で、栗原さんが母親役、濮さんが息子役を演じたことが縁となり、その後も二人はずっと「親子」の絆を保っています。新しい舞台『白鹿原』の役作りの準備でひげを蓄えている濮さん。4年ぶりの再会について、「ちっとも変わらないね」とずっと手をつないで喜んでいました。(写真、文:王小燕)
【栗原小巻さん】プロフィール(中国とのかかわりを中心に)
日本中国文化交流協会代表理事
1945年生まれ。幼い頃にヴァイオリンを学び、東京バレエ学校を卒業した後、1963年に劇団俳優座に入り、舞台、テレビドラマ、映画など幅広く活躍し、現在も舞台俳優として第一線で活躍し続けている
主演映画「サンダカン八番娼館」(1974.11.02)と「愛と死」(1971.06.05)が1978年と1979年に中国で公開
1979年 日本映画代表団の一員として、初めて中国を訪問。同じ年、日本を訪れた中国の映画代表団を自宅に招待。当時の状況が中国人女優たちの自伝などに残されている
1980年 テレビ界初の日中合作ドラマ「望郷の星 長谷川テルの青春」(TBS)で、エスペランティストで反戦活動家の長谷川テルを演じる
1986年 演出家・千田是成(せんだ これなり)と共に、ベルトルト・ブレヒト作「セツアンの善人」を携えて中国を訪問し、北京、上海、広州、香港で公演
1991年 日本人残留孤児の運命を描いた中国の謝晋監督の映画『乳泉村の子』(中国題名『清涼寺鐘聲』1992年公開)に主人公の母親の役で主演
2001年 北京で開かれた「第1回東アジア子供芸術祭」にスペシャル・アドバイザーとして参加
2002年 日中文化交流協会と中国対外友好協会主催の「栗原小巻出演映画作品展」が中日国交正常化30周年の記念イベントとして、北京で開催され、6本の作品が上映
2012年 中日映像交流プロジェクトの一環として北京で開かれた日本映画週間にゲストとして参加
2013年6月 「日中文化交流協会」訪問団を率いて、29回目の訪中
(劉文兵著『中国10億人の日本映画熱愛史』集英社新書、2006年を参照)
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