中国人と日本人の付き合い まずは違いを認めることから
担当:王小燕、志摩悦二郎
先週に続き、中国が発行している唯一の日本語月刊誌『人民中国』編集顧問の横堀克己さんのインタビューをお送りします。
先週では、両国関係が昨秋から難しい場面にぶつかったことを受けて、横堀さんと有志の皆さんが立ち上げた民間団体、「日中未来の会」の様子をはじめ、大学時代に遡る横堀さんと中国とのかかわりについてお話を聞きました。
東大在学中に中日国交正常化を呼びかける署名運動に参加し、学生訪問団を中国に送り込む事務方をしていた横堀さんは、初めて中国を訪ねたのは1979年でした。北京の人民大会堂で最高指導者の鄧小平氏に会った際、電球が半分消えているシャンデリアを指さして「中国の工業製品の質の悪さがここにある。それを変えるために、お国の技術が要る」と話し、強く印象を与えてくれた鄧小平氏のことを振り返っていました。
ところで、朝日新聞の記者だった横堀さんは海外駐在が長く、バンコク支局のほか、2回にわたって計7年間、北京で特派員をしたこともあります。中でも、1990年から93年までの二回目の中国駐在では、中日両国の関係史上特筆すべき天皇陛下の訪中を記者として取材していました。中日両国が歴史の恩讐を乗り越えて、いつまでも平和と友好を続けていこうと象徴されていた出来事でしたが、当時はもう「安泰だった」と安ど感を覚えた中日関係はその後も順風満帆な道のりではありませんでした。一方、朝日新聞を定年退職した横堀さんは、招聘を受けて、中国が発行している唯一の日本語月刊誌『人民中国』の日本人専門家として中国のメディアで働くことになります。
そんな横堀さんに今週は北京支局長時代の思い出話を始め、『人民中国』の雑誌作りに寄せた思い、そして、本当の友好や中日両国が現在の難局を抜け出すための方策などについてお話を伺いました。
学生時代から長く中国とかかわっており、現在も日々、両国の友好交流の増進を考え行動し続けているジャーナリストの心から発した声が聴けます。どうぞお聞き逃しのないように。(王小燕)
【横堀克己さん】
元朝日新聞北京支局長、論説委員、日本語月刊誌『人民中国』編集顧問、「日中未来の会」共同代表
1979~81年 朝日新聞バンコク支局長
1981~84年 朝日新聞社北京特派員
1990~93年 朝日新聞社北京支局長
2001~ 『人民中国』日本人専門家、編集顧問
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