中国でトップモデルとして活躍する張英西さんは身長180センチ。黒髪がまっすぐ伸び、きらきらとした目が印象的な女性です。その表情は豊かで、若々しくつやのある肌が人々の目を引きます。
東北地方の遼寧省出身の張さんは20そこそこで、中国第六回プロモデルコンクールで優勝したばかり。現在、北京のある有名モデル会社と契約を結んでいます。
「この業界は今後、大きな発展が見込まれています。私の場合、外見、つまり身長や顔などのハードウェアは、プロのモデルの基準に合っているから、あとは内面を磨かないと。私の好きなファッションはいろいろありますけど・・ちょっと個性のある、クールな感じのものがとりわけ好きです」
張さんがモデルの訓練を受け始めたのは中学校のころでした。そのころ、張さんの住む町には、いくつかのモデル養成機関がありました。
一般に東北、遼寧省の女性は背が高く、すらりとした背格好の人が多いといわれています。いわば遼寧省はモデルの卵の宝庫というわけです。ですから、子どもの頃から、モデル訓練を受ける人も少なくないようです。モデルの世界にあこがれていた張さんも訓練を受け始め、さらに、両親の許可を得て、プロモデルの養成学校に入り、この道を正式に目指すことになったのです。
現在、張さんのようなプロのモデルは全国におよそ5万人あまり。そしてモデルプロダクションは5000社を超えるといわれます。ですから、一流モデルとしてステージに立つには激烈な競争を勝ち抜かねばなりません。それでも多くの人がこの職業を選びます。ファッションモデルの呉暁辰さんは次のように言います。
「私は子どもの頃から、よくテレビでファッションモデルを見ていました。フラッシュを浴びて、みんなが注目する中、きれいな服をきてウォーキングする。格好いいですよね。そんなモデルにあこがれて、この職業を選んだんです。何度もステージに立ってショーを重ねることによって、最近は、だいぶん自信がわいてきました。」
しかし、ステージでうまくショーができるようになるには、日ごろの多くの訓練が欠かせません。ただ立つという動作だけでも、とてつもなく厳しい要求があります。かかと、脊椎(せきつい)、そして、頭を壁にくっ付けてまっすぐ一時間立つ。このような練習をする度に、腰や背中が痛くなるそうです。
張さんたちもまた、この苦しみを耐えてきました。でも、彼女自身は自らの夢を叶えるためなら、このような苦しみも苦しみとは思わないそうです。
「いまから振り返れば、よくやったと思います。プロのモデルになれて、これまでの苦しみが報われた気持ちです。ステージに立ってショーをする、これは私の夢でしたから」
もちろん男性モデルもいます。28歳の王暉さんは、独特な雰囲気で目立つ存在の男性モデルです。ファッションショーのほかに、王さんは数多くの製品の発表会に参加したことがあります。アクセサリーや、ノートパソコン、腕時計、自動車、携帯電話など。王さんのショーを見たデザイナーは「王さんのショーは、深みがあって、製品の特色を自らの眼差しや仕草を使って表現することができる」と評価しています。
王さんにも苦労話は一つや二つではありません。あるとき、北京の郊外にある紅葉の名所、香山でテレビCMを撮影したときのことでした。王さんの役目はマラソン選手でした。氷点下10数度の北京の冬。王さんはランニング・シャツにパンツを履いて、香山の山道を走りました。そのときの寒さは今になっても、王さんははっきりと覚えていると言います。
「最初は我慢できましたが、時間がたつにつれて、とても我慢できる寒さではなくなりました。周りに数百の脇役の人がいました。みんなコートを着ていたんですが、それでも寒いと言っていました。そんな中でランニング・シャツですから・・・うちに帰っても、夜中まで体が冷たかったです。その寒さ、もう体にしみわたっていました」
辛いことがあれば、楽しいこともあります。中国のプロのモデルは、普通の人々に比べて、収入が高い方で、月に1万元ぐらい、日本円で15万円ぐらいもらえます。時間があるとき、モデルたちは、会食したり、カラオケにいったり、若者同士で楽しく過ごします。
モデルは年を重ねるごとに、難しくなる職業です。それでは、彼らは自分の今後についてどう考えているんでしょう。特にベテランのモデルたちにとってこれは避けてとおれない問題です。
王暉さんは、ファッション関係の仕事にずっと携わっているため、業界にも人脈ができるようになりました。今後、モデルをできなくなっても、ファッション関係の仕事をずっと続けていきたいと言います。
「仕事関係では、私の知り合いの輪が比較的に大きいです。ショーをしていた製品のメーカーなどで自らの人脈をもって、今後の仕事に備えています。普段から将来のことを計画するのは大切だと思います。私なら、やはりファッションと縁があって、美しいものが大好きですから、ファッションとかかわりのある仕事をずっとしていきたいです」
モデルをするかたわら、自らモデルプロダクションを経営する人もいます。女性モデルの姜培琳さんです。姜さんは、北京師範大学心理学部の修士号をもっていて、モデルの中では異色の学歴です。モデルだけでなく、エッセイストとして、またテレビ番組の司会者としても活躍していて、全国的に有名なモデルの一人です。
モデルの将来は、本人だけでなく、プロダクション側にとっても気を使うものの一つです。東方賓利文化発展センターは大きなモデルプロダクションの一つで、多数の有名なモデルを抱えています。会社は、モデルの将来のことを考えて、ファッションショー以外にも、テレビ番組の司会者や、ドラマ出演などモデルに対し、いろんなチャンスを作っています。また、英語教育など、能力開発も行っています。プロダクションの担当者、範さんは次のように言います。
「うちの会社では、ファッションショーだけでなく、モデルにその他多くのチャンスを作っています。うちは業界でも規模の大きい方ですから、私たちのやり方次第でほかの会社にも影響を与えます。モデルを使い捨てではなく、きちんと将来を見据えてあげる・・そんなプロダクションでありたいと考えています。」
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