中国経済の急速な発展は、人々の生活をどんどん変えていきます。中国南東部にある福建省福州市で暮らす陳斌さんは、その変化の激しさに深い感慨を持つ一人です。
陳斌さんは、列車の運転士です。今年、42歳。1989年、お父さんを継いで、鉄道会社の従業員となりました。この18年間で、中国鉄道の機関車の四つの時代を経験してきました。中国の鉄道の四つの時代とは、蒸気機関車、ディーゼル機関車、電車、そして高速鉄道です。
中国では、18年前、機関車の運転には、3人の作業員が必要でした。運転士、副運転士、それに、燃料を担当する機関士でした。蒸気機関車の機関士をしていた陳さんは、その当時、20秒ごとに、石炭をボイラーに入れなければならなかったので、たいへん苦労したそうです。陳さんは、次のように話しています。
「蒸気機関車だから、石炭や木材を燃料としていました。運転室の中は煙がいっぱいで、そこにいる3人は、相当汚れました。毛穴の中まで煤(すす)がしみこんで、いくら洗っても落とせませんでした」。
でも、陳さんのこのような仕事は、そう長く続きませんでした。二三年後の90年代のはじめ、中国の鉄道システムは変わりました。蒸気機関車の代わりに、ディーゼル機関車が続々と使用されました。使用されるのはディーゼル燃料で、燃えると直接動力になります。陳さんは、肉体労働から解放されました。また、よく働いたので、運転士に昇格しました。しかし、陳さんは、残念だなと思ったことがあります。陳さんは、こう語りました。
「ディーゼル機関車は、完全に機械化されました。蒸気機関車より進んでいて、運転室内もだいぶきれいになりましたが、騒音はまだ大きかったため、同僚と話をする時は、声を張り上げて叫ばなければなりませんでした。大変でした」。
さて、月日の経つのは、早いものです。また、10年経ちました。2000年、陳さんが勤めている福州鉄道では、技術革新を行い、電気機関車を使用し始めました。電気機関車は、スピードが出ますし、音も比較的静かです。排気ガスも出ません。そういうことで、陳さんは、背広を着ても運転できるので、自分のスマートさに満足しています。陳さんは、
「以前、汽車を運転するには、体力が肝心でした。今は、専門的な訓練を受けないと、仕事はできません。今の仕事に必要なのは、体力ではなく、技術です」と話しました。
ところで、機関車の設備の更新と技術レベルの向上は、陳さんのような運転士の仕事を変えたばかりではなく、彼らの家庭生活をも変えつつあります。かつては目的地まで時間がかかったため、機関車の中で二三日過ごさなければなりませんでしたが、今は、ほとんど日帰りできます。
陳さんには、12歳の娘さんがいます。奥さんは、仕事で出張中なので、陳さんは、仕事が終わるとすぐ家に戻り、二人の晩ご飯を作りました。
陳さんの娘さんは、うれしそうに、「お父さんは、数年前までは、2、3日ごとに1回、家に戻ってきました。それで、いつもおじいさん、おばあさんと一緒でした。お父さんは、今、毎日帰ってきてくれます」と話しました。
娘さんは、今のお父さんをとても格好いいと思っています。陳さんも得意げに、次のように話しました。
「こんないい身なりで鉄道の仕事ができるとは思いませんでした。以前は、女房や子供の目から見ると、わたしは労働者のイメージが強かったようです。今の職場環境は、きれいになったし、楽になりました。家族の心の中では、わたしも、ハイテク技術者に変身しました」。
ところで、今年4月から、中国の鉄道交通はさらに新しい時代に入りました。
時速200キロで、運転の自動化も実現しました。陳さんがいる福建省は山間地帯なので、高速鉄道の建設は難しいため、もうしばらく経ってから始まるということです。
陳さんは、このほど、高速鉄道の運転を体験しました。江西省の南昌から杭の杭州まで、これまでの10時間から今の4時間に短縮されたことに驚いたそうです。中国の鉄道は、今後ますます高速化が進んでいくことになります。陳さんもさらに多くの変化を体験することでしょう。(文:藍暁芹)
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