北京は古い都として3000年ほどの歴史を持っています。長い歳月を経ていくうち、時代とともに、呼び方も変わっていきました。いまは「北京」だけど、「北京」と呼ばれる前には、20ぐらいの呼び名が存在していたと言われています。
最も知られているのは、1920、30年代に使われた「北平」という呼び名で、「老北京」色彩がとても濃い名前です。
実は、戦国時代には、北京は「燕都」と呼ばれていました。当時、7つの強国のひとつ・燕国の首都でした。燕国は、北京近郊の「燕山」という山が、名前の由来となっているそうです。燕国という国名は、おなじみ始皇帝暗殺で有名になり、史書にも多く記されています。暗殺者を派遣したのは、まさにこの燕国の太子でした。
その後、759年唐の時代には「燕京」、1123年宋の時代には、「燕山」と呼ばれたこともありました。北京の近郊にとても有名な山・燕山があるため、燕という字は、北京のことを表す文字として使われるようになりました。北京の名物ビール・「燕京ビール」はその一例として有名です。ほかにも北京では、燕という文字をよく見かけます。たとえば、北京西駅の近くに燕京飯店という老舗ホテルがあります。燕という文字からは、北京の古い歴史をうかがい知ることができます。
それから、清の時代に北京は「宛平」と呼ばれていました。これは老北京の人たちにはおなじみの名前です。宛平は、北京の一部、つまり、今の西城区、宣武区、海澱区の一部と石景山区、門頭溝区と大興区の西部を含めた地域の呼び名でした。
このほか、唐代の「春明」や宋代の「中都」、1920、30年代の「北平」といった呼び名もあり、広陽や涿郡、範陽、析津と順天府などの名前も、北京の別称として使われていました。順天府という名前がありますが、実は、北京には順天府という北京ダックの老舗があります。そのお店の名前もまさに北京の古い呼び名から来ているのかもかもしれません。近代化しつつある北京ですが、街角には、歴史にゆかりのある場所などがたくさん点在しています。
しかし、北京という名前自体はいつから使うようになったのでしょう?
1403年、明代の永楽年代に、永楽皇帝が北京を首都に決め、その名前を正式に北京と定めたそうです。そのときから、北京という名前が歴史に登場し、今まで、600年余り使われつづけています。現在までの間、北京の呼び名は何度か変わりましたが、新中国成立時、当時使っていた「北平」という呼び名が改められ、北京という名が定着したわけです。
(編集:コオリ・ミン)
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