黒龍江省林口県朱家鎮富山村に住む女性、朱占香さんは、過去29年間、家族とともに植樹を続け、ふるさとの何も生えない山を緑いっぱいの山にしました。
朱さんが植林を始めたきっかけは、1978年結婚した時に、村の政府に50元を借りたことです。その時、村の取り決めとして、山に植林をすれば、木の数で借金を返すことができるということです。朱さん夫婦は別の方法でお金を返すことができないので、植樹で返すしかありませんでした。
「木を植え始めて、一年で8、90センチも成長したのを見て、興味が沸いてきて、荒れた山を見ると、すぐ木を植えたくなる」という植樹に夢中になった朱さんは、1985年 に土地がもらえるようになりました。それまで、農村の土地は人民公社のものだったが、今度は、農民それぞれが自分で支配できるようになりました。
しかし、村人が皆、喜んで自分の土地で野良仕事をする時に、朱さんは毎日朝、山へ木を植えに行っていました。さらに、1988年になって、自分の土地を隣の人に貸して、朱さん一家は山に引っ越したのです。こうして、毎朝、朱さんは早く起きて、子供の世話をしてから、木の世話をしに行って、夕方、山の家に戻ります。ところで、山の上の木がますます多くなっている中で、朱さんが倒れました。ある春、ちょうど植樹の季節に、朱さんの胃の調子が悪くなって、病院に行くと、胃がんではないかと疑われました。
それを知った朱さんはお医者さんに電話をして、「木は全部私が植えたもので、青春をこの山に尽くした。死んだ後もこの山にいたい。私が生きるのはこの山のため、死んだ後もこの山を守り続ける」という遺言まで残しました。その後に、何回も診察を受けた結果、急性胃炎だということで、自分の命に危険がないことを知ってから、朱さんはまた、山に戻ったんです。
しかし、植林は単なる肉体労働ではなく、技術的なこともあります。まず、苗の育成というのはある程度知識が必要です。これは学校にあまり行ってなかった朱さんにとってかなり難しいことです。そこで、朱さんは苗育成の専門家に来てもらって、育成技術を習ったのです。さらに、自家製の「恒温箱」を考えました。つまり、雪が降る時に、種を木の箱に入れて、その上に砂を敷いて、さらに、雪で埋めて、また、砂を敷いて、雪で埋めます。そうすると、本当の恒温箱よりも育成率が高くなります。今、朱さんが育てた木の苗は自家用だけではなく、必要な人に売ることもできるのです。
豊かになった朱さんはそれに満足せず、無償で村の人々の植樹を支援しています。朱さんの影響を受けて、今、富山村の各家庭は人工林を持っています。朱家鎮全体の森林カバー率は83%に達しました。林業部の計算によれば、朱さんはこの29年来、150ヘクタール近くの荒山で30万本の木を植えたということです。
今、朱さん夫婦は毎日、夕日が沈むころ、山にある新しい家を背に、景色を楽しみながら、自作の歌を歌っています。 (編集:東)
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