中国は、都市化を進める一方で、どのようにして自然環境を悪化させず、改善していくかが課題になっています。重慶市は中国の西南部の直轄市で、コンクリートのジャングルを住みやすい場所にするため色々工夫している大都会です。今週の番組は、重慶市の都市化建設の歩みについてご紹介しましょう。
重慶は丘陵地帯にあり、昔から建物が山に造られていることから、「山に建てられた城」ーー山の城という別称を得ました。1997年に直轄市になった重慶市は人口3千万といわれる中国西南部の重要な工業都市です。
重慶市の中心部に当たる解放碑ビジネスエリアは、重慶市で最もにぎやかな町といっても過言ではありません。ここの解放碑は解放記念碑のことで、1945年に、抗日戦争に勝利したことを記念するため建てられたものです。元の名前は「抗日勝利記念碑」でした。1950年に「重慶人民解放碑」と名前が変わりました。
この記念碑を中心に、高級デパートやオフィスビルなどが集まっています。ここは、重慶市のCBD、中央ビジネスエリアです。
重慶市での古い町の建て直し作業は1992年から始まったそうです。
楊さんは重慶市出身で、仕事のため家を離れ、1992年に重慶に戻ったばかりです。1992年からこれまでの15年間、重慶市の移り変わりを実感しました。楊さんに解放記念碑あたりのことを語ってもらいました。
「私が重慶に戻った直後、古い町の作り直し作業が始まった。当時は高層ビルなんてほとんどなかった。解放記念碑は最も高い建物だった。今になって、解放記念碑はこのあたりで一番低くなってしまった。ここは歩行者天国となり、中国西部の都市の中でナンバーワンの町になった」
解放記念碑辺りには、これまでの100年の間、多くの店が集まってきました。1950年代から、重慶市の7割の大手デパートはここに集まっていました。1997年、ここは歩行者天国に変わりました。
重慶市は1997年に直轄市になってから、古い町を元ににして、毎年数十平方キロのスピードで都市化を進めてきました。都市化プロセスの加速に伴って、重慶市の都市部は拡張し、毎年農村から来る新しい住民が40万人もいます。これらの新しい住民の移住は、重慶の不動産業の発展を促しました。
重慶市の西南部の大渡口区は数年前、大手国有企業の重慶鉄鋼グループの社宅団地でしたが、今になって山水と庭園の景色が楽しめる団地になりました。
曾さんは、重慶鉄鋼グループのOBで、30年間働いてきました。4年前に定年退職したばかりです。これから、重慶鉄鋼グループの移転作業が展開されるそうですが、このことについて曾さんに聞きました。
「みんなは、重慶鉄鋼グループを移転してここの生活環境を改善させることを期待している。重慶鉄鋼による汚染物質は重慶市で排出される汚染物質の5割を占めている。とりわけ、ここは重慶鉄鋼による粉塵と排気ガスで、自然環境が悪かった。昔はここの家をだれも欲しくなかった。でも、今になって、だいぶ変わった。重慶市で生活環境の良い場所と言えば、ここしかない。ほかのところはこんなに広い公園はない」
今年5月に、投資総額160億元の重慶鉄鋼グループの移転作業が重慶市の西北部郊外にある工業開発区で始まりました。将来、大渡口には重慶鉄鋼の本部だけが残り、メイン工場などがすべて新しい工業開発区に移ることになります。
重慶市は、環境を保護するため、企業の移転作業のほか、汚水とゴミの処理も進めています。重慶市発展と改革委員会の楊慶育主任は次のように語りました。
「これまで、汚水の処理工場を48ヶ所建てており、ごみ処理場を36ヶ所設けた。全国の都市の中でも、われわれの汚水処理とゴミ処理はトップレベルである」
都市化建設を進める重慶市には、古い町がまだたくさん残っています。これらの古い町を綺麗にするため、重慶市は面白い方法を見つけました。
重慶市の九龍坂は古い建物が集まった町ですが、長さ1250メートルの道の両側の建物の壁には、落書きのようなカラーの絵が書かれています。
関係者によりますと、これらの絵は落書きではなく、デザイナーにわざわざデザインしてもらったものです。
「ここは古い町で、住む人が大勢いる。住民のほとんどは国有企業の職員で、収入はそんなに豊かではない。ですから、町の修復作業も難航していた。限られた経費でこの町を作り直すため、落書きによって町を化粧するという提案が出された。四川美術学院がちょうどここにあるので、学院に頼んで描いてもらった。デザイン関連の産業をここに引き付けることも狙っている」
落書きで古い町を化粧するという方法に賛成しない市民がいますが、多くの住民は明るい色の絵で新鮮な感じがすると思っているそうです。実際に、今の町には、四川美術学院による作品に引き付けられてきたアート、デザイン関連の会社が沢山集まり、小売店の商売も盛んになってきました。(編集:姜平)
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