一生を人のために尽くし続けてきた中国人民の模範、雷鋒。その精神は21世紀に入った今も、中国人の間で脈々と生き続けています。中国東北部の吉林省長春市には「雷鋒に恩返しする事務所」という民間組織があります。この事務所は長春市民の呉紹立さんが自費で設立したものです。この組織は、社会の中で、人助けをしている「現代の雷鋒」を探して、精神面と物的援助を提供する組織です。
<歌>
1956年生まれの呉さんはこの「雷鋒同志を見習おう」という曲を聞いて育ちました。雷鋒はもともと人民解放軍の兵士で1962年、職務中に殉職しました。雷鋒は常日頃、「限られた命で、最大限に他人を助けたい」と語っていました。
呉さんもまた、この雷鋒の言葉を人生のモットーに生きている中国人の一人です。また、人を助けるとともに、人から助けられることもよくあるといいます。呉さんの話です。
<2 呉紹立>
「私がこの組織を作ろうと思ったのは、8年前のことです。当時、私はタクシー運転手をしていました。ある日、大雪が降っていて、突然タイヤがパンクしました。雪の中、途方にくれているときに、車が停車して男性が出てきて、スペアタイヤの取り替えを手伝ってくれました。その時は、感謝の気持ちいっぱいになりました。でも、その後、お礼をしようと思ったのですが、ずっと連絡が取れないんです。そこで、私は、あの方への恩返しのために、他人を助ける人を援助する組織を作ろうと思いました。」
2006年4月、呉さんは、当時の貯金5万元(70万円あまり)を出して、国内初の「他人を助ける人に感謝する」民間組織、「雷鋒に恩返しする事務所」を作りました。事務所設立後、大きな反響を呼び、大勢のボランティアがやってきて、感謝する対象を捜し始めました。生活が困難なのにもかかわらず、他人を一生懸命に助けている人がいれば、「雷鋒に恩返しする事務所」はこの人たちに物的、精神的支援を与えます。
吉林省長春市に住む楊慶恒さんは十数年もの間、団地のために道路の修築、花の栽培、芝生の管理を無報酬で引き受けています。決して、生活に余裕があるわけではないのですが、非常に質素に暮らし、その余った分を他の生活困難な住民に与えます。「雷鋒に恩返しする事務所」はこれを聞いてすぐ楊さんに300元の現金とプレゼントを送りました。
楊さんは、このことに感動して、それ以来、この組織に参加するようになりました。楊さんの話を聞きましょう。
<3 楊慶恒>
「雷鋒に恩返しする事務所がしてくれたことに感動しましたよ。こんなことは、今まで一度もありませんでしたから。何かをしていて、その報酬をもらうなんて考えたことありません。でも、これからは、もっともっと頑張っていきます。」
「雷鋒に恩返しする事務所」は1年間で、吉林省各地において、「感謝する相手」20人を捜し出しました。事務所のメンバーは全てボランティアで60人余りです。年齢は8歳から71歳までと幅広く、この人たちは仕事を通して、自分の優しさを伝えることで、幸せを感じています。
ボランティアの一人、郭淑華さんは孤児です。両親はいませんが、多くの人たちから生活上の支援を受け、郭さんは毎日社会からの愛を強く実感していました。ある日、郭さんは「雷鋒に恩返しする事務所」に参加することを決めました。郭さんは昔助けてくれた人たちのように、ほかの人たちの役に立ちたいと考えています。郭さんの話です。
<4 郭淑華>
「孤児たちの様子を見ると、おさないころのことを思い出します。より多くの人々に自分の愛を伝えたい、それが私の思いです。もちろん金銭的な支援もしていきたいと思いますが、お金がなくても、使い古しの服や文房具などでも十分やくにたちます。」
中国人の考えでは、雷鋒がそうであったように、他人を助けても、見返りを求めてはいけません。ですから、「雷鋒に恩返しする事務所」がやっている「現代の雷鋒」を支援する事業については、反対意見もあります。雷鋒を見習うことは、決して見返りを与えることではないはずだ、という疑問です。呉さんの話です。
<5 呉紹立>
「市場経済の発展につれて、貧富の差が大きくなりました。私はある程度の経済力がありますから、貧しい人たちに手を差し伸べる義務があります。お金と人を助ける理念と繋げて考えたいと考えているんです。そうすれば、市場経済もより進化するんではないでしょうか。"雷鋒を見習おう"ということの意味も時代とともに変化していると考えています。」
この「雷鋒に恩返しする事務所」はまもなく河北省唐山市に2つ目の事務所を設置します。呉さんの願いは全国で「雷鋒に恩返しする事務所」を設置して、もっと多くの人に愛を伝えることです。
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