質問:『三峡好人』の英語題はなぜ『STILL LIFE』なのですか。
賈:あの土地、そしてあそこで暮らしている民衆は沈黙しすぎていると感じたからです。私たちのような芸術家や社会の彼らに対する関心も低い。最近の中国映画は、はでな宮廷生活の再現ばかりで、三峡で起こっているような現実生活の中の緊迫した事柄は表現されていません。芸術家がこのテーマをあんなにも沈黙させたことは問題だと思います。
質問:中国映画は庶民の生活を映しだす伝統をなくしてしまったようですが。
賈:そういった伝統が途絶えたのは最近始まったことではありません。私は『街角の天使(馬路天使)』という中国の古い映画が大好きです。あの映画がもっとも強く私を引きつける点は、市井の生活に関する表現です。隣近所の関係があんなに生き生きと表現されているのは、それ以降の中国映画にはほとんどありません。
ここ数年、『田舎町の春(小城之春)』がよく取り上げられ、あのような細かい東洋美学が失われたことは非常に残念だと言われますが、私は、『街角の天使』の伝統が途絶えたことのほうがもっと残念だと思います。
質問:あなたのような「第六世代」監督と「第五世代」監督との最大の違いはなんですか。
賈:「第六世代」の作品の中では、監督は普通の人であり、弱者でさえあります。これは大きな進歩だと思います。
これ以前の映画人、張芸謀などをふくむ「第五世代」監督は、強者の立場にあり、彼らの映画のテーマや主流のイデオロギーは非常に統一的なものです。国家の視点から、改革しなければならないだとか、過去を振り返らなければならないだとか、歴史から教訓を得て、新たに始めなければならないなどと講じています。
一方、「第六世代」の映画はすべて個人の反応です。このような視点の変化には、大きな民主性と強い近代意識があります。しかしこのために、大衆の離脱を招いてしまったのです。
「人民中国」より
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