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中国東北部、吉林省の中心地、長春市は、冬の平均気温が氷点下に達し、全国でも気候が厳しい都市の一つです。しかし、寒い長春では、1960年代から、冬の寒中水泳を楽しむ人々がいます。暑い夏の水泳は楽しいものですが、寒い冬に、氷の張った湖で泳ぐことは試練といってもいいでしょう。では、なぜ彼らは長年、冬の水泳を続けてきたのでしょう。
今年60歳を過ぎた王列さんは、若いころから冬の水泳を続けてきました。
「冬になると、我々の地域の湖は氷が張ってしまいます。そこで、その氷を割って、30から50平米ほどのスペースを作って、少しずつ少しずつ泳ぎ始めます」
寒中水泳が好きな人々はこれを「血管の体操」と呼びます。心臓血管の機能を強めて、病気を防ぐことができるということです。
長春市では当初、寒中水泳をやる人が7,8人しかいませんでした。しかし、その後、徐々に増えて、1988年には、「冬の水泳協会」がスタートしました。そして、18年後のいまでは、この協会の人数は300人に達しました。
仲間の数が増えてきたことについて、その発起人の一人である王列さんはとてもうれしく思っています。
「当時、条件は非常に苦しかったんです。着替えの部屋もなくて、外でするしかなかったですし。そして、氷を割るのも全て自分たちが手作業でやっていました。2,3時間かけて、氷を割って、泳ぐのはわずか4,5分間です。いまはだいぶ良くなりました。クラブハウスができて、暖房の入った部屋で着替えできるし、専門の係の人が氷を割ってくれますし・・・」
長春市の南湖は、寒中水泳の愛好者が集まる場所です。50過ぎになる王興文さんは着替えを終え、水中に入ろうとしています。
湖の中に船があります。これは何のための船でしょうか。王さんに伺いました。
「実はこの船は、氷が張らないように用意したものなんです。水の中で、船が揺れると、波が起きて、薄い氷が張らなくなります。でも、厚い氷はこれでは、だめです。叩き割るしかありません」
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王さんは木で出来た橋の上から、美しい弧を描いて、水の中に飛び込みました。一分間、二分間、三分間、わずか数分の泳ぎに過ぎませんが、極寒の中での水泳としては大したものです。寒い東北地方で人々は、綿入れを着て、帽子や手袋をはめても暖かくは感じません。こんな寒さの中で、湖の中を泳ぐ・・・感心するのはもちろんですが、何だか不思議な感じもします。愛好者の一人、セツさんに話を聞きました。
「確かに寒いです。自らにとっては試練だといわざるを得ません。これは、体の鍛錬でもあるんです。誰でもできるものではありません」
愛好者たちは、泳いだ後、岸に上がると、まず、水で体を流すという習慣があります。寒風が吹く中、水で体を流す、これを見ているだけで、寒そうですが、泳ぐ人たちは普通なことだと言っています。これは「自分への挑戦」だといって、楽しんでいるようです。
長春市にいる寒中水泳の愛好者にとって、これは体をトレーニングする手段だけでなくて、暮らしの一部となっています。今の話に出た王列さんは、一編の詩に、寒中水泳を楽しむ気持ちを表しました。
「青空白雪、寒中水泳、南湖の水面、氷の蓮の花が咲く」
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水に飛び込む時に跳ねあがった水のことを「氷の蓮の花」と喩えています。また、寒中水泳協会の会員の孫曼彬さんは、協会の歌「寒中水泳の歌」を作りました。
毎年の旧正月など冬の祝祭日には、水泳協会のメンバーが集まってきて、寒中水泳を披露します。これは地元長春市では、毎年行われていて、今ではすっかり冬の風物詩になっています。孫さんの話です。
「毎年の元旦には、私たちの寒中水泳は長春市で、今やなくてはならないイベントとなっています。一年の始まりを祝ってね。そして、立春の日にも私たちは集まります。その時には、気温がちょっと上がっていて、氷が解け始めて、表面に隙間ができています。私たちは、その隙間を縫って、向こう側に泳いでいって、また泳いで戻ってきます」
メンバーはこうして、春の到来を迎えるのです。
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