古代の4大文明といえば、メソポタミア、エジプト、インダス、そして黄河文明。これら優れた文明はいずれも大河のほとりで生まれました。
黄河文明を生み出した大河『黄河』はまさに、中華文明の生みの親といえるでしょう。黄河の下流域は中原と呼ばれ、古代の王朝の多くはここに都を置いていました。また大陸を群雄割拠した各王朝は、この中原を制することをめぐって戦いを繰り広げた歴史もあります。
多くの遺跡が発掘されており、紀元前1600年ごろに成立した商(日本でいう殷)は遺跡から甲骨文字などが発見され、中国の古代史を知る上で貴重な資料となっています。
中華文明発祥の地である黄河は「母なる河」とも言われています。
黄河は全長5464メートル、中国で二番目に長い河です。水源は、中国西部の青海省の高原にあり、東へ、四川省、甘粛省、寧夏ホイ族自治区、内蒙古自治区、陝西省、山西省、河南省の7つの省や自治区を抜けて、最後に山東省から渤海に注ぎます。川幅は広いところで(河南省~山東省あたり)5キロから20キロで、流域面積は98万平方キロに及びます。
黄河は文字通り、水が黄色く濁っていることから名前がついています。黄河の上流は水が比較的澄んでいますが、中流の黄土高原は土砂の流失が進んでいるため、水が大量の黄土を含むようになります。黄河が流す黄土の量は年間16億トンとも言われています。
さて、この土砂が川底に沈んで、少しずつ堆積した結果、一部の場所では水面が地面より高くなる、いわゆる『天井川』となります。ですから、一旦、堤防が壊れると甚大な被害となるのです。古来、流域に住む人々は、黄河から多くの恵みを受ける一方で、度々の氾濫に苦しめられてきました。
1946年、中国共産党の指導の下、「黄河水利委員会」が発足しました。これが本格的な黄河整備のスタートといえるでしょう。あれから、今年でちょうど60周年を迎えました。
毛沢東主席を始め、歴代政府の首脳は、常に黄河の整備は重要視してきました。鄧小平、江沢民、そして胡錦濤主席はいずれも、黄河の整備事業を視察し、高い関心を払ってきました。中国の『母なる大河』は、数千年に渡って、人々に多くの恵みを与え続け、そして今もなお、中華民族の心の拠りどころとして、大切な存在であり続けているのです。
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