「神舟6号」の2人の飛行士、費俊竜さんと聶海勝さんは、ともに中国の農村の出身である。
指揮員の費飛行士は1965年、江蘇省の昆山で生まれた。宇宙飛行士大隊に入る前は、空軍機の最上級の「特級」パイロットだった。1991年、息子が生まれたとき、彼は息子に「費迪」という名を付けた。「費迪」という中国語の発音は、UFOを指す中国語の「飛セツ」と発音が近く、彼は息子が将来、飛行機よりも高等な飛行物体を操縦して宇宙探索に行くよう望んだのだった。
思いもかけず十数年後、彼自身が先に宇宙飛行士となった。最初、宇宙飛行士に選ばれたとき、彼は宇宙飛行士が具体的に何をするのかよくわからなかった。飛行機のパイロットと同じようなものだと考えていたという。当時は、若者にありがちな好奇心と探求心から、試しに受験してみようと思っただけなのだ。今はその選択が正しかったと思っている。
宇宙飛行士になった後、費さんはかなり長い間、父母に本当のことを打ち明けなかった。家人たちは彼が西北部から北京に転勤となったことしか知らなかった。あるとき母親は、耐え切れなくなって彼に、いったいどんな仕事をしているのか、と尋ねた。彼の答えは「相変わらず飛んでいるよ。けれど空軍にいたときよりもっと高くね」だった。
操縦員の聶さんは、1964年に湖北省の棗陽で生まれた。幼いころから家は貧しく、小学校に上がるとき、両親はいつも、数元の学費が払えるかどうかを心配していた。あるときは、先生に、学費の替わりに1羽のウサギを渡したことさえある。
聶さんは、高校を卒業するとき、たまたま空軍がパイロットを募集していたのが幸運だったと言う。その後、パイロットからまた選ばれて中国初の宇宙飛行士の1人になった。
これは彼がずっと夢に見てきたことだった。小さいころ、彼が故郷で牛を放牧していたとき、山の斜面で寝ていて奇妙な夢を見た。当時、飛行機を見たことがなかった費少年は、自分に大きな羽根が生え、青空を飛ぶ夢を見たのだった。
今年10月13日、聶さんは41歳の誕生日を迎えた。前の日に宇宙船で大空に飛び出したばかりだった。聶さんはテレビ電話で妻からの祝福の言葉と娘が歌う「ハッピー・バースデー」を受けた。
娘は「大スクリーンでお父さんは笑っていましたが、愉快な気分なの?」と尋ねた。聶さんは「そうだよ。ここでの気分は素晴らしい。ここから見る地球はほんとうにきれいだよ」と答えた。
ーー「人民中国」より 高原
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