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北京龍泉寺に見る伝統と現代(下)

2013-08-09 16:12:59     cri    

 昼食は龍泉寺で歓待を受けました。テーブルを埋め尽くすほどのお皿が出てきましたが、料理の一つ一つに素材本来の味があり、美味しくいただけました。

 「龍泉寺が再建される前は、鳳凰嶺や周辺には木が少なく、あまり知られていませんでした。しかしお寺の再建と共に木々が生い茂るようになり、参詣者をはじめ観光客がどんどん増え、いまでは北京近郊の有数の風致地区になりました」
 龍泉寺の僧侶たちにとって、自分たちの活動によりもたらされた変化は大きな誇りです。そう言われて、鳳凰嶺に上がる前の村落を通った時、民宿の看板が立っていたことを思い出しました。龍泉寺が観光の目玉となって、周辺の村も観光開発のチャンスを得たようです。

 午後は帰依法会の見学。全国からの申込者300人あまりが本堂に集まりました。この日、住職は公務で寺を留守にしていたので、監院の禅興法師が代理として壇上に上がって説法し、読経を先導しました。式を執り行った和尚さんたちはみな若く、20代半ばの書生風の僧侶が何人もいました。式は約1時間半にわたり、厳かな雰囲気の中で行われました。
 本堂の横の参詣客用食堂の前方に大画面があり、本堂の様子が実況中継されていました。既に帰依をした人、あるいは見物客100人あまりが詰め掛け、法会の時間を共有していました。
 このような規模の帰依法会が年に20回ほど行われており、2005年からこれまで帰依した人は数万人に上るそうです。

 最後に見学したのは寺院所属の「大地心農場」でした。北京市政府の支持で、国有西山農場から所有地の一部を無料で借り受けているということです。農場は2カ所あり、時間の都合で主として栗を栽培する果樹園を見学しました。

 

 広さ50ムー(4ヘクタールあまり)。穏やかな山あいに多くの栗の木が植えられています。麓はキュウリやナスの畑で、林の間にゴマなども植えられていました。管理にあたっている賢喩法師が一番自慢していたのは、栗の木の根元に栽培されていた「栗茸」です。

 「まいたけの一種ですが、栗の下に生えるので栗茸と言っています。ほら、こんなに大きくなるのですよ」
 野菜畑にはソーラーパネル付きの自動念仏器(音声自動再生機)がすえつけられ、野菜に南無阿弥陀仏の念仏を聞かせながら栽培しているそうです。

 

 かけあしで龍泉寺を見学し、取材してきましたが、印象に残ったのは、和尚さんの案内で境内を移動していたとき、その先々で出会った信者さんたちがみな合掌しお辞儀をしてくれたことです。礼の対象が和尚さんであるのは知っていますが、傍にいる自分も一緒に礼を受けてしまっているようで身に余る思いでした。
 下山の時、賢清法師がわざわざ寺の車で最寄りの地下鉄駅まで送るよう手配してくれましたが、袈裟姿の運転手さんの車に初めて乗りました。ワゴンの一番後部座席にいた私は詳しくお話できませんでしたが、この運転手さんは出家前は大手国営企業のエンジニアだったということでした。
 鳳凰嶺龍泉寺を後にして考えました。物質的に豊かさを得た中国人は、いま内心の満足を本気で求め出しているのか。千年あまりの歴史ある古刹とは言え、事実上はまだ若い寺院である龍泉寺が急ピッチで勢いをつけてきたのは、一人一人の強い信仰心が支えになっているに違いありません。このような強い思いが今後、寺をどこまで導き、また、一人一人の修行者が仏法を求める道でどう自己成就していくのか。また、社会に対しての済度、禅興法師の言葉を借りて言い換えれば、「ポジティブなエネルギー」をどう送り出せばよいのか。全社会、全世界に開かれた寺院作りに向けて、先端的な試みにいろいろと取り組んできた寺院だからこそ、今後もさまざまな注目を集めていくことでしょう。

(文:王小燕、撮影:胡徳勝)


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