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清華大学教授・日本研究者 劉江永さん(上)

2010-04-27 18:47:15     cri    

歴史を乗り越え 心の和解を実現せよ

 中日関係のいま 東アジアのこれからを聞く(上)

 

「メディアこそ、両国国民の相互理解にとっての架け橋だ」。取材依頼に対して「ゼロ拒否主義」(一切断らない)を通していると言います。中国国内のみならず、テレビ朝日の「朝まで生テレビ」をはじめ、日本の主流メディアの手がける「日中大論争」など各種シンポジウムにも度々参加し、日本国民向けの発信にも心がけてきました。

また、清華大学の学内では全学生向けの日本レクチャーも長年にわたり開いています。1回あたりの聴講生が1000人を越える規模の講演を含め、年10回以上催した年もあると言います。

研究成果を学界内部にとどめることなく、両国国民への発信を常に意識し行動する劉教授に、世界金融危機や日本の政権交代を背景にした中日両国の今、東アジアの向かう方向について伺いました。

■【感想】調和、友愛、心の琴線に触れる会議

――この2月、第5期中日友好21世紀委員会第1回会議に参加されましたが、今回の会議をどのように振り返りますか?

 この度は、正式会員として第5期中日友好21世紀委員会に参加することができて、光栄に思うと同時に、様々な感想が胸に詰まっています。
 というのは、1984年、中日友好21世紀委員会が発足したばかりの頃、私は「専門家委員会」のメンバーとして、準備作業に携わり、翌年、大連市の棒棰島で行われた第2回会議にも参加しました。あれから25年あまりの月日が過ぎ、この間、中日両国の状況や世界情勢のいずれにも大きな変化が起きました。
 中日関係は摩擦もあったものの、紆余曲折しながら発展することができました。しかし、そうした中で、両国政府と人民の世世代代にわたって友好を推し進めていこうという決心は変わることなく、それどころか、一層意志が固まりました。
 現在の中日関係はすでに靖国問題の影から抜け出し、「協力」を基調とする健全発展の軌道に乗るようになりました。良いムードの中で開かれた今回の会議は、「調和」、「友愛」、「心の琴線に触れる」といういくつかのキーワードでまとめることができるのではないでしょうか。
 何よりも、両国の指導者と政府が委員会の役割をきわめて重視していることに、成功のカギがあったように思います。中日友好は歴史と時代の赴く方向ですが、容易には得がたいことでもあるので、これからもそれを大事にし、どんどん強固にしていかなければならないと思います。

――両国の政府にも積極的に政策提言を行っている「中日友好21世紀委員会」ですが、委員になられての抱負は?

 まずは中国側の委員になれて、今後5年間にわたって両国の友好事業に微力を尽くしていくことができることを非常に光栄に思っています。
 まずは、双方の委員の皆さんにたくさん学ばせていただきたいです。次に、唐家セン首席委員のリーダーシップの下で、自らの職責をしっかり果たして行きたいです。さらに、両国の研究会や関係各界の方々と密接な連携をとり、彼らの声に耳を傾け、会議を通して両国政府に伝えるようにしたいと思います。
 実は、初回会議の前に、中国の旅行業界の方たちに話を聞くチャンスがありました。「中国人観光客の訪日ビザ申請手続きの簡素化」を日本政府に訴えたいという彼らの強い期待があることを知りました。
 韓国の済州島は、中国人団体客向けのビザ免除プログラムを始めました。例えば、日本の沖縄でもこうしたやり方を導入することができないでしょうか。中国人観光客の海外旅行に便利さを提供するだけでなく、日本の観光業の発展と景気回復にもプラスとなるという一石二鳥の効果が期待できるのではないでしょうか。
 これが一例ですが、今後も寄せられた期待に背かず、中日関係の発展について引き続き提言させていただきたいと思います。

■ 【提案】心の和解は相互訪問から始めよう

――中日関係を語る時、「歴史問題」もよく話題に出されますが、問題の本質は?

 中日間の歴史問題については、日本政府は1998年に発表された「中日共同宣言」で、「過去の一時期の中国への侵略によって中国国民に多大な災難と損害を与えた責任を痛感し、これに対し深い反省を表明した」と明記しました。日本政府が政府間の正式文書で戦争の性質について正式に記したのは、これが初めてのことで、大きな進歩だったと私は見ています。
 しかし、一方では、日本はたいへん婉曲な形で戦争に言及していました。「深い反省を表明した」という表現は国交正常化を実現した際の『共同声明』の表現を踏襲した文面です。  
 これまで、日本の指導者は数多くの場で戦争について口頭で詫びてきましたが、問題は、その表現方法や行動がその時々により違いが出てきていることです。また、指導者が変わるごとに、表現の誠意や行動も異なってきました。「靖国神社に参拝しない」と明言した政治家もいれば、「かならず参拝する」と主張する政治家もいます。外部に、日本人の指導者は戦争処理あるいは歴史認識に対し、それぞれ異なった見方をしているというイメージを与えかねません。このことは日本のイメージを損ない、隣国の日本を見る目にも直接マイナスの影響を及ぼしていると思います。

――鳩山政権の発足はこの問題の解決にどのような影響を与えると見ていますか。

 鳩山内閣の発足、民主党政権の誕生は、日本の戦後において重要なターニングポイントです。これにより、日本政治の流れは「脱右傾化」となり、その対外戦略も冷戦時代のアメリカの軍事プレゼンスに頼る反中国的な発想から脱け出すことを意味すると見ています。
 日本の政局はまだ不安定な要素がありますが、民主党はこれまで歴史を直視せよと呼びかけ、一部議員は野党時代から歴史問題の妥当な解決を呼びかけてきました。これを背景に、もし民主党が長期政権になれば、日本の政治的右傾化という社会風潮が抑制されると思います。

――問題の解決に向け、日本にどのような取り組みが求められていますか。

 戦後50周年にあたる1995年、村山内閣は「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」(不戦決議)を提出し、国会の意志として、日本は歴史上、侵略戦争で隣国に被害をもたらしたことを認め、不再戦を日本国民と世界に宣言しようとしました。
 この決議は衆議院でかなり書き直される形で可決されたものの、参議院では反対に遭い、提出が見送られました。その頃からほぼ10年以上、日本の政治的右傾化という社会風潮が蔓延し、「政冷経熱」の中日関係もその影響を受けた結果の一つでした。
 民主党の政治基盤が比較的安定して、日本の国家意志として歴史問題に関する国会決議が採択されれば、日本の今後の発展にとってプラスになるし、中日両国が歴史認識における矛盾を解決する上にも有意義だと思います。  

――戦争の加害国であり、被害も受けた日本が、周辺国の国民と心の和解を実現するのに、提案したいことは?

 数年前、私は広島で講演した時、400人の聴講者に提案したのは、戦争の跡が残っている地方への、指導者たちによる相互訪問です。つまり、日本の指導者は中国の南京と重慶を訪問し、反省と慰霊の旅をします。中国の指導者は日本の長崎と広島を訪れ(胡耀邦総書記が長崎を訪問したことがある)、平和と友好の旅をすることです。
 ただ、日本の政局のことを考えれば、こうした相互訪問はまだすぐに実現できるものではないようですが、まずは、草の根レベルの相互訪問を提案したいです。
 青少年交流でも個人観光でもかまいません。まずは、日本人の南京訪問と中国人の広島訪問を先に進め、その上で、両市市長の相互訪問をすること。もし両国指導者による相互訪問も実現できれば、一般市民の相互訪問もそれにより一層促されると期待されます。去年12月に逝去した平山郁夫氏は、広島生まれの原爆体験者として南京を訪れ、南京で城壁の修復活動に力を捧げましたが、これは両国国民の心の和解につながる素晴らしい行動だったと思います。
 歴史が心に残した傷は、政治家たちの勇気ある行動で癒すことができると思います。このことについて、私はこれからも提案し続けていきたいと思います。(つづく)

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