Part4中国を撮る <夢は中国写真展を開くこと>
――中国の農村で撮影を続けていると聞いていますが…
日本は近代化の過程で、古き良き民家の建造物がほとんど取り壊され、完璧になくなっているというところまで行ってしまいました。今、写真を撮ろうと思っても撮れない。ただ、こうした中で、私の写真集がきっかけで、日本重要建造群に指定された集落があります。写真が残っていたため、人々は昔の様子を知ることができたと言えます。
それで思いついたのは、そうだ、中国にはまだ未だにそういうものがあるんだ。やがて、中国も日本と同じ道を歩んでいくので、いずれなくなる。だったら、ぼくは視点を中国に移して、地方の奥に行けば、まだ昔の面影が残っているところがあるので、その姿をとどめようと思って江西省、安徽省などで写真を撮り始めました。
――ロケ地はどのように決めていますか。
地図を見ると、絶対行く価値のあるところがあります。言葉のこともあり、知人の運転手に頼んで、奥地に連れて行ってもらいます。「どんなところが良いか」と聞かれても、口では説明できません。「とにかく走ってくれ。良いところに来ると止めてもらうから」というやり方でやっています。最初、運転手さんは、何でここがいいかと聞くわけですが、2~3日すれば、気持ちが伝わって、彼らの方から「ここに行け!」と私に言うようになりました。やっぱり、気持ちが通じるんだなと感じました。
――
撮影する時、心がけていることは?真実の風景を撮ること。作り事ではだめ。ある時、江西省の農村で撮影していた時、一箇所良いところに来ました。夕方になったので、待っていたら、夕日がさしている農道を、牛をつれ、一日の仕事が終えて家路を急ぐ牛と農夫の牧歌的な風景が見られました。帰国前にもう一度行って撮影しようと思って、同じ時間帯なら撮れるだろうと思って、「よ~いスタンバイ」と待っていましたが、その日は村の後ろの道を通ったらしく、振られてしまいました。運転手が気を使って、「それじゃ、今頼んで通ってもらおう」と言いましたが、「いや、それはだめだ」と断りました。
何気ない風景でも、そこを通る人の気持ちというのは、その時でないと現れない、歩かせるわけにはいかない。真実が写っていないと絶対分かるんですよ。それで、翌日もう一度行って待っていて、きちんと一枚の傑作ができました。
<夢は 中国の写真展を開くこと >
――稲垣さんのアトリエには、写真がプリントしてある掛け軸がかかっていました…
ぼくは定年後、ずっと表装の仕事をしていました。その傍ら、
僕は自らを「ビジネス仲人」と紹介する時があります。知識と知識を結びつけると新しい物が生まれますが、専門的な知識をもっている人材ああっても、他業種の人材との横の連携が成されていないため、どうしてもそのつなぎ役、結婚で言えば仲人役が必要だと思います。そういうことが日中交流の面でも出来たらと思います。知恵と知恵の交流があれば、もっとお互いに新しいものが生まれるし、新しい考え方が生まれるでしょう。
――いまの一番の夢は?
まだ誰もやっていないことですが、都市のメイン通りで、掛け軸による中国農村の写真展を行うことです。BGMから会場の雰囲気まですべて中国のもので統一しようと思っています。展示するのは写真ですけど、掛け軸なら絵に描いたように見え、普通の人はきっとみな写真とは思わないでしょう。
写真展の開催までに、もっと奥地に行って、素材を集めないとだめなので、もう少し時間がかかります。母もきっと喜ぶと思います。「良いことをやってくれた」と声が聞こえてきそうです。(聞き手:王小燕)
【プロフィール】
写真家 稲垣喬方(いながき たかまさ)さん
1930年 東京に生まれる
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