jingji
|
先週に続いて、日本漢字能力検定協会(漢検)の高木純夫さんにお話を伺います。2013年、漢検で第二のサラリーマン人生を始めた高木さんは、40年間にわたり総合商社・伊藤忠商事の企業戦士でした。
新中国の誕生した1949年に、神戸に生まれた高木さんは、小さい時から国際色豊かな住宅街で過ごしました。「私の生まれ育った神戸は、山と海に囲まれた緑まばゆい国際都市。神戸にお住いの外国の方々も多く、実家のお隣さんは広東省出身の貿易商。このような環境ゆえ、何となく幼いころから国境を感じることなく、海外での活躍を夢みていた。また母校・神戸大学の出身者の多くが商社で活躍していた。そんなこんなで就活も商社以外は考えなかった」、と商社に就職した経緯を振り返ります。
伊藤忠では、高木さんは北京事務所機械部長、本社中国化工プロジェクト室長、中国・アジア・大洋州室長代行、台湾伊藤忠商事副総経理、瀋陽兼ハルピン事務所長などを歴任。1999年の台湾を皮切りに、蘇州、瀋陽、大阪で14年にわたる単身生活も経験。また、商社マン人生の半分強の20数年を、中国大陸や台湾を中心にした海外駐在で過ごされました。
「海外生活を通して多くのことを学び、多くの友人と巡り合うことができた。私の人生の宝物であり、大きな心の支えである」と振り返ります。
高木さんは「商社マンには2つのタイプがある。1つはモノのプロ、もう1つは人のプロ」と言います。ご本人は担当した化学工業プラントのプロになることは早々と諦め、その代わり人のプロとして「中国の方との公私にわたる現場目線での付き合いを通じ、中国及び中国人をもっとも理解する日本人の一人になった」と自負されています。
ところで、高木さんの商社マン人生には、それまで想像だにしなかった歴史的な大事件に遭遇したことがありました。
1983年、それまで中国語圏でばかり仕事をしていた高木さんは、突然イラン・テヘランへの赴任を命じられました。そして、赴任から3年目の1985年に、第一次イラン・イラク戦争が勃発。一体、テヘラン駐在と中国ビジネスとどんな関係があるのか?戦争が起きた時、200人を超える日本人駐在員とその家族たちは、戦火のテヘランをどのようにして脱出したのか。のちにNHKの「プロジェクトX」でも紹介された事件現場に、高木さんもいました。
いつ会っても微笑み溢れる高木さん。好きな言葉を教えてくれました。それは、井上靖の「努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る」でした(写真は友人の金原芳山さんに書いてもらい、部屋に飾っている額です)。
そして、「今年は1つ追加する。MVPである。Mission(使命感)、Vision(企画・展望)、Passion (情熱)」と続きました。
今回のインタビューでは、日本の総合商社を支えてきた商社マンの素顔、商社マンがどのようにして成長していったのか伺ってまいります。
【プロフィール】
高木純夫(たかぎ・すみお)さん
(公益財団法人)日本漢字能力検定協会 海外事業部部長
京都大学東アジア経済研究センター協力会 理事
1949年 神戸生まれ
1973年 神戸大学経営学部卒業。伊藤忠商事株式会社に入社。その後、2013年の定年退職まで40年勤続。
この間、アジア・中国・太平洋室室長代行、台湾伊藤忠商事副総経理、瀋陽事務所長ハルピン事務所長を歴任し、長年にわたり中国ビジネスに携わる。また、テヘラン、北京、台北、蘇州、瀋陽など海外事務所に通算20年あまり駐在。
2013年4月から現職
| ||||
© China Radio International.CRI. All Rights Reserved. 16A Shijingshan Road, Beijing, China. 100040 |