日本のみなさんには見飽きていると思いますが、
スカイツリータワーが印象的でした。(浅草六区からの眺め)
7月初旬から2週間、日本に帰りました。去年の8月からほぼ1年ぶりの、そして何より大震災以来初めてで、日本は一体どんなことになっているのかという思いをいだきつつの帰国でした。
会う人ごとに「久しぶりの日本はどう?」と聞かれ、いつも「寒い!」と答えていました。私の印象としては、みんな「節電!節電!で暑い!」と言っている割には、どこもクーラーがガンガンきいていて寒く、結局体調管理に失敗、風邪をひいて39度の熱を出してしまいました。
また、用事があって甲府に行って泊まったホテルに驚きました。ビジネスホテルで値段もそこそこなのに、最上階に露天風呂も含む温泉があり、その他、何から何までまさにかゆいところに手が届くサービスで、本当に感心しました。
しかも、デフレ傾向でものの値段は全般的に安くて、部分的には、物価が急激に上昇している北京とも大差ないと感じました。しかし、その低価格を実現するために、見えないところでかなり無理もしているのだろうとも思います。
一方では、若い人たちが、この行き届いた社会を出て外に行く気が起きないのも当然かもなとも思います。かつて、私たちが欧米に感じたあのジリジリするようなあこがれの気持ちは、おそらくもう二度と感じることはないのだろうと思います。
そういう意味では、これからどこへ向かって行けばいいのか。本当に難しい時代になりました。そこへ襲った1000年に一度の大地震と大津波。今回、会う人ごとに、その時どこで何をしていたか聞いてみましたが、それぞれにドラマがあり胸を打つものがありました。
帰る前の日に、日帰りでしたが、宮城県の石巻に行き、駆け足で被災状況を見てきました。
被害を受けた車が積み重ねられた先に、ほとんど家が流された住宅街が見える。
実際の被災地に立ってみると、呆然と立ち尽くすしかできませんでした。ごくわずかに2階部分と骨組みが残された家がある他は、ほとんど流されてしまった、かつての住宅街を見て、その1軒1軒に人びとの暮らしと思いがあったのだろうと思ったら、じわり涙が出てきました。
遠く北京から今回の災害を見ているときは、これを機会に行き詰まった日本が再生すればいい、などと思っていましたが、実際の被災というのはそんなものじゃないとつくづく感じました。
7月中旬に北京に戻ってきてすぐ、高速バスの炎上事故、高速鉄道の追突事故という大きな事故が立て続けに起きました。特に、高速鉄道の事故については、事故そのものより、その処理の仕方に、私の周囲の人びとは怒りをぶつけていました。そうした人びとの気持ちが力となって、従来型の処理では済まない事態になるかもしれないとの予感もあります。
今回の事故に関しては、微博(ウェイボー=ミニブログ、中国版ツイッター)を通じて刻々と情報が伝えられ、それがリツイートされる形であっと言う間に広まり、それが既存のメディアとは別のメディア空間を作り上げていたのも新しい状況です。
しかし、自然災害が引き金とは言え、根本的なシステムが人びとの安全性をないがしろにしていたという意味では、今度の事故は日本の福島原発の事故と同じ根を持つものだとも言えます。そして、人びとの安全よりも既得権益を大事にしようとする人びとがいる一方では、それを何とかひっくり返したいと思っている人もいる。そのせめぎ合いの構造も、ひょっとすると中国も日本も変わらないのかもしれないと思います。中国と日本をひとかたまりのものとしてみるのではない視点。どこの国でも、一人一人の人間がいて、それぞれの暮らしや思いがあって、それぞれの人生を生きているのだと考えれば、それはごくごく当り前のことなのだと思いますし、そういうところから今後も中国と日本を見ていきたいものだと思っています。(大野)
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