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帰郷――中国残留日本人孤児、謝恩の旅

2009-11-24 15:59:16     cri    


温家宝首相にプレゼント贈呈 撮影:劉叡琳




















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 侵略戦争によって生まれた被害者――中国残留日本人孤児。肉親探しと帰国。そして故郷、中国へ。養父母に会う謝恩の旅を同行取材しました。

 「お帰りなさい。中国の養父母と親族のお見舞いにようこそいっらしやいました。中国の政府と人民、そして親族を代表し、皆さんを歓迎します」2009年11月11日の午後、北京の中南海で、日本から戻ってきた中国残留日本人孤児謝恩団と会見した温家宝首相は、こう語り掛けました。

 総勢45人の残留孤児謝恩団は平均年齢70歳。中国の養父母や親族のお見舞い、感謝の気持ちを伝えるために、久しぶりに中国に帰ってきました。

 中日国交が回復した後、政府や民間団体の協力の下で、残留孤児の親探しが始まりました。中国の養父母たちは辛い思いをしながらも、実の親のところへ孤児らを返しました。

健在している数少ない養母ら 撮影:劉叡琳

久しぶりの故郷の味 撮影:劉叡琳

   

 これまで来日した孤児のうち、2500人あまりが続々帰国し、今でも日本に定住しています。しかし、大人になって帰ったため、日本語がうまく喋れない人が多く、日本社会に溶け込むのは決して容易なことではなかったのです。およそ7割の孤児が経済的に困り、生活保護を受けたとされています。

 残留孤児の基本的人権を求めた一連の裁判に携わってきた小野寺利孝弁護士はこのように語っています。

 「中国で身に付けた技術は日本に帰国した途端に、何の役にも立たない。『3K』という汚い、危険、皆に嫌われる、そういう過酷な労働にしか自分たちが就職できない。あるいは職にあり付かない。そんな中で、『生活保護』という働けない人を一時救済するシステムがあったのに、どんどん転落していくのです。日本の市民社会に溶け込むこともできない。」

 2002年から、「普通の日本人として、人間らしく生きる権利」を掲げ、孤児政策の転換を図る国家賠償請求訴訟が日本の15の地方裁判所で始まりました。数年間も続いた訴訟によって、残留孤児への社会的理解が深まりつつあります。

 そんな中、2007年4月、温家宝首相が訪日し、国会で「友情と協力のために」と題する演説を行いました。

 「戦後、2808人の日本人の子供たちが中国に置き去りにされ、残留孤児となりました。戦争の辛酸をなめ尽くした中国人が孤児たちを引き取って、死の危機から救い出し、育てあげました。中日国交正常化の後、中国政府は孤児たちの肉親捜しに大きな支援を与えました。現在までにすでに2513人の日本人孤児が日本に戻りました。」

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