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『史記・項羽本紀』③~鴻門の会~

2012-08-06 14:49:38     cri    
























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 鴻門の会。これは楚の項羽と漢の劉邦が、秦の都、咸陽の郊外で会見した話です。劉邦を殺す最高の機会を、項羽は逃してしまいました。項羽は劉邦を殺すチャンスに恵まれましたが、それをしっかり掴むことができず、とうとう、楚と漢の戦いが始まってしまいました。結局、最後に、項羽は劉邦に垓下にまで攻められ、自殺してしまいました。

 鴻門の会は劉邦にとって、まさに生死を分ける瀬戸際と言えます。項羽との直接対決の場となりました。これは司馬遷の『史記』の中でも最も有名な一節です。

 その背景

 前回は、項羽が秦の主力部隊と遭遇し、少数で多数に臨んだ鉅鹿の戦いで勝ち、大活躍したことをお話しましたね。その時に、劉邦は何をしていたかと言いますと、別働隊として強力な敵と遭遇することなく、咸陽に到着し、秦の王を降服させ、関中一帯を占領しました。

 その前に、楚の懐王、この懐王というのは、あくまでも叛乱を起こし、秦を覆すために、項梁と項羽が立てた傀儡王ですから、実権はもちろん、項羽に握られています。楚の懐王は「関中を征した者を関中の王とする」と将軍たちに約束したことがあります。

 劉邦が先に都に入ったので、関中の王になるはずです。しかし、実は、楚の懐王は将軍たちとそう約束したのは、一番最初に都に入るのが、項羽に違いないと予想した上での発言です。

 項羽は劉邦に後れて函谷関に着いた時、関を守る劉邦の兵士を見ました。更に、劉邦がすでに秦の都咸陽を陥落させたと聞いて、激怒しました。項羽が大いに怒ったのも分かりますね。自分の手柄であるはずのものが他人に横取りされてしまった訳ですから。

 そのとき、項羽の軍隊は劉邦と比べて圧倒的に人数が多かったんです。項羽は40万人で、劉邦は10万人の軍隊でした。だから、項羽がもし劉邦を撃滅しようと思えば、困難なことではありません。この時、劉邦は項羽の元に向かい謝罪することにしました。

 鴻門の会

 登場人物:

 <項羽側>

 項羽:楚の将軍。実質は反秦軍を総帥する。

 范増:項羽の軍師。

 項伯:項羽の叔父。楚が秦に滅ぼされた後、各地を流浪。このときに張良に庇われるなど恩義を受ける。

 項荘:項羽の従弟。

 <劉邦側>

 劉邦:楚王配下の将軍。後の漢王朝の始祖となる。

 張良:劉邦の軍師。

 樊噲:警護役として劉邦に付き従う。豪傑で知られる。

 劉邦は、百人あまりの騎兵を従えて、項羽に面会を求めてやってきた。鴻門に到着して、劉邦は謝罪し、こう言った「私と将軍は力を合わせて、秦を攻めました。将軍は黄河の北で戦い、私は黄河の南で戦いました。私は運良く、先に関中に入って秦を破ることができました。そして、ここで再びお目にかかることができたのです。今、つまらぬ者の言葉で、将軍と私を仲たがいさせようとしています。」項羽は言った、「それは、あなたの部下である曹無傷が言ったのだ。そうでなければ、どうして、私があなたを攻めようとするだろうか」

 劉邦の部下、曹無傷が何を話したかといいますと、「劉邦は関中の王になりたくて、秦の王だった子嬰を宰相とするつもりだ。秦の宮殿にあった宝物をすべて奪った」と項羽に告げたことがあります。

 このくだりでは、劉邦は謝罪し、自分たちが共に戦った仲間であることを確認した上で、自分が先に都に入って秦を破ったことが、偶然であり、王になろうとしているのは、ただつまらないものの中傷で、聞く価値がないと強調しました。とても低い姿勢をとったわけです。

 項羽の怒りは静まったようです。更に追究することがなく、そのまま、酒宴を催しました。本当に惜しいです。

 項羽は劉邦を留めて酒宴を催した。項羽の軍師である范増は何度も項羽に目配せして、劉邦を殺せと暗示した。項羽は黙って応えなかった。范増は、席を立って外に出、項荘を召し出して言った、「将軍様は、人情がでて、冷酷にはなれないようだ。お前が中に入って、祝いの剣舞をさせてもらい、時を見計らい、劉邦を刺し殺してしまえ。そうしなければ、お前とお前の一族は、皆(劉邦の)虜にされてしまうだろう。」項荘は、すぐに宴席に入ってお祝いの言葉を述べた。それが終わると、「軍中であるため、何の楽しみもありません。慰みに、私に剣舞を舞わせてください」。項羽は「よろしい」と言った。項荘は立ち上がって剣を抜いて舞い始めた、項伯もまた、剣を抜いて舞い始め、ずっと身をもって劉邦をかばうようにしたため、項莊は劉邦を撃つことができなかった。

 このくだりでは、范増は劉邦を殺すように何度も求めましたが、項羽は何故かうなずきません。すると、やむを得ず、劉邦を殺せと項荘に命じました。項荘は剣舞のふりをし、劉邦を殺そうと頑張りましたが、項羽の叔父項伯が張良の恩返しをするため、劉邦を守ろうとしたのです。

 項羽側では、劉邦を殺すか意見が一致していないようですね。項羽はまだ躊躇っていて、決断していないし、叔父の項伯も劉邦を守っていました。

 ちょっと想像すれば、非常に緊張感にあふれたシーンですね。優雅に舞っている剣舞ですが、実は、劉邦の命を狙っている訳ですから。項羽側の意見が一致していないとは言え、やはり危ない場面です。張良はそれに気がつきました。

 そこで、張良は外に出て、樊噲と会った。「今、大変な事態だ。項荘が剣を抜いて舞っているが、ずっと劉邦を狙っている」。樊噲が言った、「私に入らせてください、殿と生死を同じにしましょう」。樊噲は宴席に入り、目を怒らせて、項羽を見た。その髪は怒りで逆立っており、まなじりは裂けるように見開いていた。項羽は、「立派な男だ、酒を与えよ」と言った。その後、生の肉を与えた。項羽は、「豪傑だな、もう一杯飲めるか」と聞いた。樊噲が言った、「私は、死ぬことすら避けようとしません、一杯の酒をどうしてお断りしましょうか。そもそも、秦の王は虎や狼の心を持ち、人を殺すことが多すぎました。ですから、天下は皆背いたのです。懷王は諸将と約束して言いました、『先に秦を破って、咸陽に入った者を(関中の)王としよう。』と、そして、劉邦が、先に秦を破って、咸陽に入ったのです。それなのに、王として振る舞わず、少しも、財貨を自分の物とせず、宮室を封印し、軍を霸上まで戻し、大王様(項羽)が来るのを待ったのです。将兵を派遣し、函谷関を守らせたのは、盗賊が出入りしたり、非常事態に備えたものです。苦労は並大抵の物ではなく、功績がこれほど高いのに、まだ恩賞はありません。一方、つまらないことを聞いて、功績のある人を誅殺しようとする人がいます。これは、滅びた秦の二の舞に他なりません、はばかりながら、大王がすることではないと思います。」項羽は、応える言葉を失って、「座れ」と言った。しばらくしてから、劉邦が立ち上がって便所に行こうとした、その時、樊噲を招きともに外に出た。

 劉邦を危機から救うため、樊噲が乱入しました。劉邦と同じようなことを繰り返して項羽を説得しようとしています。樊噲が言ったのは、とても筋の通った話ですので、項羽も反論できなかったんです。

 劉邦は便所に行ってくると言って、外に出ましたが、そのまま逃げ出し、張良が変わりにお別れの挨拶をし、お土産を捧げました。項羽は、そのお土産を受け取って、手元に置きました。范増は、お土産の玉を受けとると、そのまま地面に投げ、剣を抜いて粉々に砕きました。そしてこう言いました。「こんな小僧と一緒では、謀りごとなど出来ぬ!そのうち天下は必ず劉邦に奪われ、我らは捕虜となってしまうだろう。」

 歴史を知っている私たちにとっては、項羽の軍師、范増がこの時、劉邦を殺せというアドバイスがどんなに賢明だったかということが分かりますが、当時の項羽は、恐らく劉邦のことをただ一人の部下として看過し、自分と覇権を争うことなんて、予見できなかったでしょうね。これぞ運命かな?劉邦はとうとう逃げ出しました。項羽は簡単に彼を倒す機会を永遠に失ってしまいました。

 (『史記・項羽本紀』第4話へ続く)

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