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<無錫シリーズ>錫劇「梅派」を作り上げた梅蘭珍(後半)

2012-07-18 11:35:54     cri    

























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 錫劇は無錫の方言で歌う劇で、「無錫灘簧」とも呼ばれています。江南地方の農村の短調から変化してきた錫劇は江蘇省や浙江省、上海などの地域で大きな影響力を持ち、「太湖にある一本の梅の花」といわれるほどです。

 「無錫シリーズ」、先々週のこの時間は錫劇の女形役者・梅蘭珍についてお話しましたが、今日はその後半です。

 1930年代に建築された無錫市の大劇場「大世界」で歌うのは、錫劇を含む各種の劇の俳優にとって憧れの場所です。1946年、梅蘭珍はここで「荒江(こうこう)の女傑(じょけつ)」という劇をやりました。その後、彼女が次第に有名になりました。しかし、彼女の名がよく知られたのは1949年新中国ができた後でした。

 1959年、中国で最も有名な近代劇作家・曹禺(そう・ぐ)は無錫を訪れ、梅蘭珍と王彬彬が共に出演した劇「孟麗君」を見ました。その後、無錫市錫劇団は北京を訪れ、政府指導者らが住む中南海のホールで錫劇を披露しました。錫劇を見にこられた周恩来元首相らの政府の指導者は俳優たちと記念写真を撮りました。

 1961年秋、無錫市を視察していた毛沢東元主席は、梅蘭珍が演じた錫劇「真珠塔」を観劇しました。また梅蘭珍と王彬彬が共に演じた錫劇「孟麗君」と「真珠塔」が、香港の華文映画会社によって収録され、彼女も人気者になっていました。

 80歳の高齢にもかかわらず、梅蘭珍は一刻も錫劇を忘れたことがありません。その外孫の梅瑩さんは「お祖母ちゃんは錫劇が大好きだ。80歳になっても、朝起きてから、すぐにテレビにスイッチを入れ、錫劇を見ながら、発音の仕方や動きの仕方などを模倣し、研究する」と述べました。

 早くも1990年代、梅蘭珍は仕事の重点を演出から人材の養成に移しました。弟子の蔡瑜さんは「梅お婆さんは文字を一つ一つ説明してくれた。とても親切だった。我々若者の成長に心血を注いだ」と述べました。

 錫劇の大御所(おおごしょ)として、梅蘭珍は錫劇の発展に大きな貢献をしました。無錫劇院の王建偉院長は、「より多くの梅蘭珍のような人材が出てくることを期待している。我々は今後も、努力してこの事業の発展を推進していきたい」と話しました。

 現在、無錫市は「錫劇伝承者」という制度を設け、錫劇の創作や民営劇団の支援、錫劇の小中学校での普及などの事業を推し進めています。

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